減る教養

劇作家の福田恆存さんは、信州へ向かう列車内で、隣の高齢の女性から「窓を開けたいと思うが、迷惑ではないか」と問われた。

粗末な身なりで地の人らしい彼女に西洋風の作法で接せられたことに驚く。

見慣れぬ人には「距離を保って自分を位置づける」という躾が行き届いていたからだろうと言う。

 

その時の体験から生まれた言葉が、

『日常的でないものにぶつかったとき、即座に応用が利くということ、それが教養というものです』

 

 

何もそこまで小難しく考えなくても・・・

 

と、思いがちではありますが、間違いなく深く沁みる行為ではあります。

私が子供のころには当たり前のようにあった行為でもありますが、昨今では大人も子供もなかなかやらない行為になってしまったような。

いや、やらないというより、他者への「気づき」がないままに、「自我」中心にふるまうことが当たり前になってしまったというべきでしょうか。

 

これは私も他人ごとではなく、どんどんその「力」が無くなっているように思われてなりません。

福田さんの言葉を借りれば、

すなわち「教養」がどんどん消え失せている状態ということになるのでしょうか?

 

どんどん消え失せて、最後の最後に赤子に帰れればまだいいのですが、中途半端な「自己中」親父で止まってしまったら・・

 

おおっ怖っ!

 

 

どんどん減る教養であるならば、

せめて「思いやり」の気持ちくらいは持ち続けたいものであります。

 

 

 

 

 

 

 

コメントはまだありません

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. TrackBack URI

Leave a comment