青葉土地コーポレーション 青葉土地コーポレーション
ブログ
 真理の言葉
2020年9月8日 | 雑記

あれやこれやといろいろある日々は誠にありがたいものですが、あっという間に時が過ぎているようで、もう9月の一週も終わったのかと驚きます。

ふとした折に、これでいいのか私の人生? と思うことがありますが、知らない間にそのことも忘れて、また目の前に現れる「様々」に心を奪われながら生きているようでございます。

 

どのような気持ち、考え方を持てば、健やかかに生きていけるのだろうかと考えたりしたことも数知れずでございますが、いまだよくわかりません。(笑)

 

そんな折、樹木希林さんの一周忌を前に、娘である内田也哉子さんの声を拾った記事が目にとまりました。

 

 

 

 

“ 暑い夏の入院から一か月、急に母が「もう帰ろうと思う」と言い出した。

主治医は、「もっと悪化したら帰れない、今しかチャンスがないことがわかったんですね」と退院を認めてくれた。

2日後に自宅にもどり、その日の真夜中、母の意識が遠のき、私は腰が抜けてしまった。

8歳だった次男が「身体がなくなっても、魂はずっとそばにいるよ」って冷静に励ましてくれて、我に返りました。

 

離れていた父と娘も携帯のビデオ通話で「ありがとう」と声をかける中、母は息を引きとっていきました。

 

母は常々、「自分の死んでいく姿を見せたい」と話していました。

あの時の空気は、次男の出産を家族で見守った時とすごく似ていた。

 

命と密接に向き合うこと。

母の意図を理屈抜きで理解しました。

死は等しく訪れ、自然の摂理の中にいる。 すると、かけがえのない日々に自然と感謝の気持ちがわく。

悲しく、寂しい以上の人間の営みを教わった。 何物にも代えがたい大きな贈り物です。 子供たちの顔つきも変わりました。

 

 

病室では弱々しい感じではなく、「あす生きていたら、何をしようかしら」くらいの感じでした。

 

「すべてのことは自分が原因をもっている」が母の口癖でした。

そう思えば、相手のせいにすることができなくなる。 でも、そこから悲観するのではなく、常にできることを考えて進む人でした。

思えば、逆境の戸惑いが全く見えない人でした。

 

他人のことには涙を流し、とても共感性が高いのに、自分のことにはクール。

別居した父が、他の女性と交際しても、「しょうがないわねぇ」って笑うだけ。 もどかしかったです。

 

母が話してくれたことですが、最初の結婚は穏やかそのもの。 でもつまらなくて、これが一生続くと思うと、ものすごく絶望したと。

その後、破天荒な父に出会い、自分の孤独やブラックホールを意識せずに済んだのだと。

 

 

母のあとを追うようになくなった父の遺品を整理すると、赤いソックスやサングラスがたくさんあって。 所有しない母とは正反対。

おかしくて、笑ってしまいました。

でも母は、入院中、看護師さんに父に会いたいと言ったり、若いころの父からのラブレターを大事に保管したりしていました。

びっくりしましたが、少しこころがほぐれました。

 

 

晩年、息子を乗せた車のエンジン音を聞いて、ガレージまで下りてきて、「あなた、用事あるの? ねぇ、お茶でも飲みにいかない?」と言って、後部座席にちょこんと座る。

息子を学校に送った後、カフェで朝食を食べたことが何度かありました。

 

母は、混とんとした嵐を横に持ちながら、ふっとしたほっとする日常を持つことが最高の幸せだった人。

「上出来」と言って人生を全うした。

だから母を思うとき、寂しさや悲しさのあとに、温かい気持ちになります。

この気持ちを大切に生きていければと思います。 ”

 

 

 

希林さんの本はいくつか持っていますが、どれもがまるで、高尚な僧侶がもつ思想に触れたような、自然の中でつつましく生きる真の哲学者から発するオーラを感じたりしたものですが、今回もまたしかりです。

 

嵐を隣に置くことで、何気ない日常に幸せを感じることができる。

 

人それぞれに、毎日が嵐のようなもの。

それから逃げようと思わず、その中にじっと身を置いたいるだけでも、

ちょっとした日差しのぬくもりに感動できるのかもしれません。

 

迷いや困難こそが幸せの元。

 

人の死にかかわらず、

「真理」の言葉は生き続けるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリ
月別アーカイブ
記事検索