青葉土地コーポレーション 青葉土地コーポレーション
ブログ
いま創る未来のお話
2015年2月1日 | 雑記

人類学者、川田順造氏のお話。

 

“『世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう』 レヴィ=ストロース

この言葉をかみしめるべき時が来た。

地球46億年の歴史の中で、今の人類であるホモ・サピエンスが誕生したのは20万年前でしかない。 誰のものでもなかった土地に、強い者勝ちで縄張りをつくり、追い出したり追い出されたりしながら、ヒト同士殺戮を重ね、他の動植物の種も絶やしてきた。 地球のゆがみは人類がもたらしたともいえる。

学生時代、自分のためだけでない、より良い未来をつくるには何をなすべきかという理想を求めた。 手ごたえのある対象を探していた折に、民族や様式、伝統、文化などが人々を結びつける『確かさ』として立ち現われてきた。

53年前、西アフリカオートボルタで研究を始める。

旧モシ王国という、文字をもたない社会を始めとして、アフリカ各地に9年半暮らした。

彼らは15世紀にさかのぼる王国の歴史について、太鼓を細やかにたたき分けることで見事に伝承していた。 音でなくかたちで過去を表す文化を磨き上げたナイジェリア・ベニン王国での調査と合わせ、太鼓言葉に文字と同じ『しるす』意味があることを明らかにした。

初め私は、文字を持つことを人類の歴史の上で一つの達成とみて、無文字社会がその達成のない段階と考えていた。 しかし彼らと暮らすうち、コミュニケーションが実に多様で豊かなことを知り、『文字を必要としなかった』とも思い至る。 むしろ、文字に頼り切った私たちが忘れているものを思い起こさせられた。

 

今でも思い出すのは、農閑期の夜、熾火を囲み、子供たちがお話を皆に聞かせるときの、素朴な喜びの表情です。

昼間は大人にこき使われていた子供たちのどこから、こんな傑作な話が、いきいきした声で出てくるのか。 文字教育で画一化されていない『アナーキーな声の輝き』と私は呼んだ。

録音を日本に持ち帰り、友人に聞かせたら、声の美しさにみな驚きました。 伝える喜びに満ちた躍動があったから。

多くの人々は強大で荒々しい自然にうちひしがれ、受け身ながらも、日々をしぶとく楽しんでいる。 野生植物を巧みに利用して生き抜く知恵のすばらしさ。 富は分け合うものという了解もあった。 最終的に私は、人々の驚くべき生命力と、おおらかな自己肯定感に感嘆せずにいられないのです。

それらは共同体のつながりに対する信頼から生まれてくるのでしょう。 いま生きている者は、死んだ人、これから生まれてくる人も含めた人間の大きなつながりの中の一部分にすぎない、という意識がある。

 

日本にもある。

古事記は日本人が持っていた豊かな想像力を示すテキストでもある。 対象を別の物になぞらえ、実在しないものをあるように思い描く『見立て』も。 夜空に広がる一瞬の光を花に見立てた花火、喫茶に精神性を持たせた茶道、能を演じる空間などなど・・

豊かな想像力が、思い思いの創意工夫につながったひとつに職人の手仕事がある。

西洋では装置を工夫し、人力を省いて畜力、風水力を利用する。 日本では手に頼り、簡単な道具を多様に用いる。 和船の船大工や桶屋、シナ織りや紙すき、三味線用の猫皮なめしや座繰糸引き。 消滅寸前ですが・・・

 

失われていく文化を探す旅として、東京の下町言葉の膨大な聞き取り調査も続けてきた。

歯切れのいい言葉を聞いて育ちました。 いなせなとび職の語りにうっとりしたことも度々。 平安朝由来の、のんびりしたたかな文字でせっかちな下町言葉を書き表すのは難しい。 サバンナの子供たちのお話と同じで、躍動しているから。

どちらも文字に頼らず、話し手の生きざまからじかに発せられた言葉だからです。

 

方言の話し言葉も、先人が工夫を重ねた手仕事の伝統も、「つながり」、つまり共同体の大切な基盤なのだと感じた。

私がアフリカで感じた『共同体のつながりへの信頼』は、日本のどの地域の人々も、かつては同じように持っていたはず。 しかし、高度成長のはじまりくらいから揺らぎが始まる。

その後、特にこの20年間のITの急速な発達と普及が、日本社会を新しい段階に突入させた。

他者への関心と思いやりに欠け、自分に閉じこもる人たちを増やした。 共同体の底に流れていた、人の役に立とうという意識、弱い者へのいたわりといった倫理は薄れてしまった。

物質的には豊かな国だが、豊かになると幼児化が進む。

人類の進化につれ、霊長類の幼児期が延びるネオテニー(幼形成熟)現象が生じた。 経済的に豊かになればなるほど行き過ぎになってきた。 何をしてよいかわからないモラトリアム人間の増加がその表れ。

 

ホモ・サピエンスの誕生以来、人は大自然に対して圧倒的に弱い存在だと自認し、自然と共生して生き延びてきた。 一人では生きられないから群れにあたる共同体と折り合いをつけ、知恵を出し合い、いたわりなどの倫理を働かせて、協力して生き抜くしかなかった。

20世紀後半からの共同体崩壊は、それに頼らずに生きられる環境が経済的にも社会的にも形成されたことを意味する。

窮屈な共同体の中で自分を抑えることもなく、欲望を好きなだけ追求できる環境は、子供の部分を残したまま、年を重ねることを可能にした。

 

以前、学校で飼っていたニワトリの肉をクラス全員で食べるという授業の試みが、保護者の反対で中止されたと聞いた。 そういう授業こそ大切だと思う。 肉は食べるが、そこに至るまでの作業は自分とは別の誰かがやるという、子供の心の中の意識を打ち壊すべき。 ほかの生き物の命で生かされているという自覚、リアリティーを持つことは、自然とのつながりを取り戻すことへの第一歩。

子供だけでなく、大人もそう。

あなたは『満月を過ぎると、月の出は早くなるか遅くなるか』と聞かれて即答できるか?

インターネットで得た知識で人がバラバラの世界に生きる現状では、共同体の再構築はすぐには不可能かも知れない。 でも、一人ひとりが自然や地球、宇宙とのつながりを意識すれば、状況は変わるのではないか。 地球に傲慢になりすぎていないかと自問する謙虚さを取り戻せるかが、人類の未来にかかわってくるだろう。

 

「もともと地上には道はなく、歩く人が多くなれば、それが道になる」 は、魯迅の言葉。

人類の先行きには確かに悲観的にならざるをえないが、人間には未来志向のDNAが備わっていると信じる。

これまで幾多の困難を克服してきた強さは確かなものだから。

克服する武器は、問題のありかを考える知的好奇心と想像力、ほかの人々や自然とつながろうとする感覚。

流される情報を受け取るだけではなく、自分の心の底にある言葉をすくいとって、それを他者にいきいきと伝えるにはどうすればいいか、考えてみてはどうですか。

自分の中の武器を眠らせないために。 ”

 

 

 

私の体験を通して、かつこれからのビジョンも含めて強く共感できるお話である。

つながりの一部という自覚が、人を強くおおらかにする。

しかし、このことを身をもって体験できる環境を用意しない限り、自分の至らなさに気づけてない人が気づく可能性は限りなく低い。 よほどの大ごとな災害でもない限り・・

しかしそれからでは意味がなく、それまでになんとかしたいと、思い願うから、今準備したい。

だからこそ、なんとか自分の周りにある資源を活用して準備ができないかと何度も何度も考える。

いきなりではなく、ゆるやかに、そして継続できるシステムはないかと・・

 

この春以降、ひとつのチャレンジが始まるかもしれない。

新しいカタチ。

新しい共同体のカタチ。

いま、創作中です。

 

 

 

カテゴリ
月別アーカイブ
記事検索