11月は仕事から何から人から洪水のような日々が多くて、少々自分を持て余し気味な状態でした。
何とかひとつづつ対応させていただいてまいりましたが、改めて自分という人間がこういう時にこそ「観察」できるものだなぁと再確認もできた次第。
恐ろしや恐ろしや・・ (笑)
そんな生きているからこそのありがたさを、また別の視点から気づかせてくれる言葉に出会いました。
染み入ってくる心地よさに、思わずうっとりしてしまいます。。
「生きるのも日常、死んでいくのも日常」
という死生観を表現し、多くの共感を得ていた樹木希林さんが、生前、長年の友人である京都現代美術館長である梶川芳友さんと交わしたやり取りの記事を見た。
「うらを見せて おもてを見せて ちるもみぢ」
江戸時代の良寛和尚の辞世の句についてしばしば語り合ったという。
希林さんは、「裏から始まるところがすごい。 年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」
ふたりは別の句「散る桜 残る桜も 散る桜」も好んだ。
だれにも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。
「そう考えると、心強いわね。 でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」
近代日本画家村上華岳の描いた遺作で、若き日の釈迦が座禅修行する姿が描かれている「太子樹下禅那」は、
「官能性」「遊び心」と同時に「死への不安や葛藤」の相反する要素が同居している。
希林さんは京都に来るたびにこの仏画に向き合い、「孤独」について語り合った。
「独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る」
梶川さんが仏教の教えを語ると、希林さんは
「絆も信じすぎるとお互い苦しくなる。 孤の意識が人を育てる」
希林さんは61歳で乳がんになり、梶川さんも60歳のとき心筋梗塞で1か月間入院した。
病を経て、ふたりは別々のものだと思ってきた「生」と「死」が一体のものだと気づいた。
「病が不幸だけなんて。もったいない。がんは特に残り時間が読めるからありがたいわよ」
希林さんはがんを機に、「所有しない生き方」を選び、名刺一枚受け取らなかった。
それなのに、
2年ほど前、梶川さんは希林さんから「太子樹下禅那」の小さいサイズの複製画を求められた。
9月16日。
訃報を受けた梶川さんが駆けつけた自宅の枕元には、あの仏画がかけられていた。
梶川さんは「どんなに覚悟を固めていても死はどこか恐ろしい。 その時に、希林さんはすべてを心得た慈愛に見守られながら旅立ちたかったのかもしれない」と語った。
夫の内田裕也さんに触れた言葉もあった。
「共演者と合わなくて。あー疲れた」
希林さんは物事や人に対して厳しい人でもあり、電話でこうこぼすこともあった。
そんな時、梶川さんは釈迦の弟子の一人、提婆達多の話をした。
釈迦にたてつき、困らせる、みんなが彼を遠ざけた。
だが、釈迦は
「役立つ人だけがいいのではない。 困らせる人は己を磨く上で必要だ」と説いた。
すると、希林さんは
「くっくっ」と笑いながら言ったという。
「そういえば提婆達多は、私にとっての裕也ね」