強烈な山行以来、社会復帰できてないような私である。
これではいかん。
今の私の生き方は街に依存する部分が高いわけで、それを無視しては生きていけないわけで、大いなるヒントを自然界から少々頂いた身としましてはここいらでそろそろ街に対して挑戦しようと思います。
まあちと大げさですが、自分に対する挑戦ということです。
しかし、いつも挑戦するからこそ忘れてはならないことがあるように思います。
それを今回の小檜山節もまた伝えてくれているように思えるのですが・・
石ころ 小檜山 博 (理念と経営 特集記事より)
“ つい先だって、千人の中学生を前に偉そうにも「なぜ勉強するのか」という話をした。 そして結論にしてもまた偉そうに「勉強より大切なものがあるということを知るために勉強するのだ」と言ってしまい、ちょっと恥じた。
講演のあとの数人の先生との懇親の席で、ある先生が少し前にあった中学一年生の7キロを走る校内マラソン大会に伴走したときの話をしてくれた。
その大会に出たK少年には母親がいなくて大工職の父親に育てられたという。 Kは父親に「今度のマラソンで10位以内に入ったら回転寿司に連れてって」と頼み、父親も喜んで承知したそうだ。 K少年はまだ回転寿司に行ったことがなかったのだ。
マラソンの当日、K少年はスタートして1キロあたりでは20位くらいにいたのが、5キロでは6位に上がっていた。 走るコースには畑の中の狭い道もある。 その水田わきの土の道になって間もなく、急にKは立ちどまるといま来た道を戻り出したという。
Kはほかの生徒がどんどん追い抜いてゆくなかを20メートルほど戻ると、素早くしゃがんで道路に転がっていた握りこぶしほどの石ころを2つひろい上げ、道路わきへ放り投げたという。 それからまたゴールへ向かって全速力で走りだした。
結局、少年は21位になった。 伴走した先生があとでkに事情を聞いても初めは笑ってこたえなかったが、何度か聞くと「あの石ころを飛び越えたあと気になってしまって。 あとからくる誰かがつまずいて怪我したら大変だから」と言ったそうだ。
先生は絶句したまま何も言えなかったという。 後日、先生がkの父親にこっそりたずねてみると、kはマラソンの終わった夜、父親にただ一言「10位に入れなかった。来年がんばるよ」と言っただけだという。 ニコニコ笑っていたそうだ。
先生の話を聞き終わり、ぼくは天をあおいで呻いた。 そして、この子の前ではさっき自分が講演で喋ったことなど塵になって吹っ飛んでしまったのを感じた。”