青葉土地コーポレーション 青葉土地コーポレーション
ブログ
やってるジャン!
2012年9月15日 | 雑記

作家の高橋源一郎氏がニュース番組に出演し、尖閣諸島に香港の活動家が上陸したというニュースのコメントを求められ、正直に「そんなことは、どうでもいい問題のように思う。 領土という国家が持ち出した問題のために、もっと大事な事柄が放っておかれることの方が心配だ」 と答えた後、ツイッターのアカウントに数えきれないほどの返事が届き、 「非国民」「国賊」「反日」「死刑だ」「お前も家族も皆殺しにしてやる」といった罵倒と否定の言葉が躍っていたという。

彼は、国家と国民は同じ声を持つ必要はないし、そんな義務もない。 誰でも国民である前に「人間」なのだ。そして「人間」はみんな違う考え方を持っている。 同じ考えを持つものしか「国民」になれない国は「ロボットの国」だけだ、というのがぼくにとっての普通の感覚だ。 と表現している。

3.11以来、少しずつだがこの世界は欠陥に満ちた社会であることが、多くの人たちの共通認識になりつつある。 では、どうすればいいのか。どんな社会を作ればいいのか、  と彼は続ける。

官邸前に集まる何万、何十万もの人たちが集まる。 だが、「デモで社会が変わるのか?」と問う人がいる。 デモで社会は変わらないと思っているからだろう。 あるいは選挙によるしかないと思っているからだろう。

それに対して柄谷行人はこう答える。

「デモで社会は変わる、なぜならデモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ」

 

もちろん、『デモによってもたらされる社会』は、必ずしも幸福な社会とは限らないという佐藤卓己の懐疑にも理由がある。 ドイツのナチ党はデモや集会で台頭したし、それを日常化したのが第三帝国であることは事実だからだ。

だが、ナチ党が主導したデモや集会は「独裁と暴力」を支えるものだった。 いま、ぼくたちが目にする「新しいデモ」は、その「独裁と暴力」から限りなく離れることを目指しているように見える。

 

「オキュパイ・ウォールストリート運動は、ニューヨークに突然現れ、公園を占拠して、「格差社会の是正」という彼らの主張をデモを含む様々な形でアピールした。 その現場を間近で見た五野井郁夫は、その特徴を 「リーダーをつくらずコンセンサス(合意)方式で議論を行う『総会』に見いだした。 そこに参加していた女性の言葉を借りれば、 「意見がごちゃごちゃに分かれて複雑になって、時には時間がかかることもある ・・・ 本当に言いたいことっていうのは言葉のニュアンスのなかにあって、とことん意見を交わさないとなかなか出てこない。 そして互いに耳を傾け合うような環境じゃないとね」  ということになる。

ぼくはここに、独裁を拒む、もっとも有効な知恵を感じる。  また、彼は独裁に対抗する最大の力は「非暴力」だと宣言している。

小熊英二は、さらに広く、深く、 「参加者みんなが生き生きとしていて、思わず参加したくなる『まつりごと』が、民主主義の原点です。 自分たちが、自分自身を越えたものを「代表」していると感じられるときは、人は生き生きとします」  「動くこと、活動すること、他人と共に『社会を作る』ことは、楽しいこと」 だという。  誰かが楽しい社会を作ってくれるのを待つのではなく、「社会を作る」プロセスの一つ一つが、自分を変え、それに関わる相手を変えてゆく。 変わってゆくことは楽しい、と人々が知った時、そこに、 「人がデモをする社会」が生まれている。

 

様々な社会運動に関わって来た太田昌国は、「金曜デモ」に遭遇し、その新しさに戸惑いながらも『解放感』を感じる。

「楽しさや解放感があるときの、人間の学び方は、広い。 深い。 早い」

そこは 「相手を罵倒することも否定することもない」場所だ。  そして、そんな場所を作ることだけが、 「罵倒と否定」の社会を変えられるのである。

 

 

これらの記事を読みながら、大真面目に思ったことがある。

はーと・ねっと・くらぶで、やってるジャン!

あいあいキャンプで、やってるジャン!

 

真面目にミーティングに来ているメンバーにとっては「耳たこ」だと思います。。(笑)

年間100時間に届こうかという、あいキャンミーティングこそまさにコンセンサス方式会議(総会)であり、傍目にはどうせ私が力任せに若者を操っているのだろう、などと思っている人たちが多数おいでかも知れぬが(まあそう思わせている普段の私の態度がいけないのでしょうが・・)、実際プログラムなどの各担当の若者が、自分で考えた素案に、それぞれのメンバーが意見を出し合いながら納得いくまで議論を重ねて創ってゆきます。 その間私は出来る限り沈黙を守り、彼らの邪魔をしないように小さくなっているのです。(そうは見えないらしいが・・)

しかし、そんな環境をずっと用意しているのにも関わらず、チラリチラリと横目で私の方を気にするメンバーの多いこと多いこと・・・

いつも私は、失敗してもいいから・・  とか、 やってみなはれ・・  とか言う方で、 他者の意見を否定する慣習も創らず、 少数意見までも立派な意見として尊重し、時と場合によっては、一度決まった多数決がひっくりかえるようなことさえ起こっているくらいなのです。

役員会議(リーダー会議)もありますが、そこに決済権は一切なく、あくまで事前打ち合わせにより多少内容を洗練しておくくらいの役割にとどめています。

そう、あくまで決定はミーティング(総会)なのです。  だから彼らは自分がそこで創った、決めた一員であることを自覚し、まつりごとの参加者となり、動き、活動し、他者と共に「あいあい社会」を創ることが楽しくなり、生き生きと輝き始め、 そしてそれは決して誰かが創ってくれるのを待つのではなく、あいあい社会を創るプロセスによって自分が変わり、関わる相手も変わっていく。

変わってゆくことは楽しい、とメンバーが知ったとき、そこに「人がデモをする社会」ならぬ、「人があいあいキャンプをする社会」が生まれているのです。

そして、そこに楽しさや解放感がある時、 彼らの学び方は、広い。 深い。 早い。  と言うわけなのです。

スタッフのみならず、 キャンパーの子どもたちも、 まさにこの変化の楽しさに気付くからこそ 「化ける」 のでしょう。

もちろん変化が嫌な人、したくない人にとっては、苦痛の場所でしかありませんけどねぇ 。

 

相手を罵倒も否定もしない場所、 そんな場所だからこそ、 そんな場所を創った人たちだからこそ、 「罵倒と否定」の社会を変えていけるのではないのでしょうか?

もうすでに彼らは、  そんな奇跡を 「体験」 しているのです。

若い彼らが、この先数年先、数十年先に創っていく社会を、私は本当に楽しみにしています。

たったそれだけのために、 12年間頑張ってきたと、 胸を張って言い切れるのです。

 

老兵去るのみ。

もはや体力、気力ともそろそろのようです。

カテゴリ
月別アーカイブ
記事検索