すばらしい「あの時のわれりゃ」でございました。
4年目といえば、それなりにマンネリ化したり、チームワークがおかしくなったり、個人的にもしんどく感じたり、アイデアが尽きてきたりと、とても様々な足を引っ張る「要素」「原因」がボコボコ顔を出してくるビミョーなお年頃だと思います。
私も自身の活動を通して、一つの「カベ」であったなぁとの自覚があります。
ところが今年の彼女たちは、それを見事に感じさせない、むしろ一皮むけたような感覚を与えてくれました。
しかし私は知っています。
「カベ」がなかったわけではなく、乗り越えて創り上げたということを。
数か月前に、メンバーのひとりでもある娘を通して、協賛金の件でお願いに伺いたいとの連絡を頂き、うちの事務所でメンバーとお会いした時、私から「いつまでも協賛金をもらうことを前提にイベントを考えていると、そのことが目的になってしまったり、理念から遠ざかってしまったりと、結局お客さんも離れていったりして継続することが困難になる可能性もあるのだけど、今年もそれでいくの?」 と投げかけたところ、「実は自分たちもそれらのことで悶々としていて、なんか違うような気はするのだけれど、 だけど自分たちにお金も力もなく、 どうしたらいいのか・・・」 という具合にとても悩んでいたのでした。
それ以外にも、今年もこのイベントをやるべきなのか、 どんな作品を創ればいいのか、 それぞれの仕事やビジョンが在りながらの中、どうバランスできるのか、 等々 いっぱいの悩ましいことに押しつぶされそうになりながらの来社であったわけでした。
ひととおり聞かせて頂いた私からは、いつもの通り、 「それは誰のためにやってることなの? それはなんのためにやつていることなの?」 とお聞きしました。
するととたんに彼女たちの顔が見る見る変わっていくのが分かりました。
恐らくここに来るまでも何度も何度も、何日も何日も考え抜いてきたのでしょう。
だけど本当にそんな考え方で良いのかどうか、そういう風に口に出して仲間と共有してもいいのかどうか、それを誰に聞いたら良いのか、誰が教えてくれるのか?
そんなことではなかったのではないでしょうか?
でも、考え抜いてきた「過程」は裏切ることはありません。
悩み抜いてきた「過程」がウソをつくことはありません。
だから彼女たちは、たったそれだけの言葉で、「思いだした」のでしょう。
多くを語らずとも・・
そして、それぞれが今までため込んだ思いの丈を大量の涙で洗い流したのでありました。
全員が・・・
会社のティッシュが無くなりそうでした。 いや、そうではなく、外部の人が見れば間違いなく不動産屋のおっさんからパワハラされてる構図だったと思います。
なんかこんな危ない構図が多いのが気になります。 が、 私にはもちろんそんな気はありません。(苦笑)
そんな経緯があってからの今日ということでしたので、とても楽しみにしていたのは事実です。
どう彼女たちはその思いを昇華したのか、 成長したのか?
本当にお見事でした。
一人一人が自分自身に対して、とても素直で正直な気持ちで向き合い、決して必要以上に自分を大きく見せようとせず、着飾らず「今」の「素」の自分を受け入れ認めた「覚悟」から生まれてくる力強い「輝き」。
去年からの一年間、いろいろあったけどそれなりに生きてきた「命の輝き」。
そのことをとても感じました。
自分が調子が悪い時もいい時も、仲間の作品や生き方を見て今の自分を客観視することができたり、エネルギーを循環させたりすることができるのが、なんでか昔からの理屈を越えた「友達」だったりするのでしょう。
お客さんの感想も、毎年の変化が楽しみだという声を聞きました。
ここに集まる大人たちも、きっと我が事のように彼女たちの成長を楽しんでいるのだと思います。
来年までの1年の間に、一人一人、またしても様々なドラマが生まれることでしょう。
でも、それこそが、間違いなく「今」を生き続けた「証」としての「未来」が創られているということだと思います。
「今日」を創り上げた彼女たちが創る未来の「カタチ」を今から楽しみにしています。
お疲れさまでした。
そして、 本当にありがとうございました。
いいもの見せてもらいました。。