昨日日曜日は、seedライブとあいキャンミーティングのダブルヘッダー。
朝seedをオープンし、サウンドガーデンの若者たちにバトンタッチした後、昼食をかっ食らってミーティングへ、7時間ぶっ通しのミーティングの後、またまた晩飯かっ食らってseed閉店へと向かいます。
深夜帰宅し、久々に自宅で缶ビール1本。 やっと一息です。
幸せです。 十二分に・・
しかし最近のあいキャンミーティングは毎回7時間コースですなあ。
まあよーやるわ、 ということなのですが、本当によーやるわなのです。
といいますのが、もちろんやるべき議題は決まっておりますので、そちらもみっちりやった後に、一部のスタッフから「その他」事項の議題が出てくるようになったのです。
前ブロでもご紹介したように、「議論」ということがやっと少しずつ出来るようになってきたスタッフ諸氏が、ミーティングでの意見の交換を深めてくれているのは事実です。
ところがそれだけに留まらず、その他事項という主体的に提案する議題を提案し始めたのです。
たとえば昨日など、スタッフ全員で割振りして行っていたあるプログラムの件で、担当スタッフが、いつも返事をくれないスタッフや、出席率の低すぎるスタッフを自らの判断において、そのプログラムの割振りから外してしまったのでした。
その割振りはメーリングリストという、スタッフ間のみで共有するインフラで配信されるのですが、ほとんどのメンバーはてっきり全員割振りされていると思っていたのでした。
ところが数名のスタッフが何人か抜け落ちていることに気づき、通信を担っている元リーダースタッフに相談を持ちかけたのでした。
その元リーダースタッフも抜け落ちには気づいていなかったため、担当者のミスかと思い連絡を取ってみたところ、頭書の通り担当者による自己判断で、「今まで返信のない人、やる気のない人は外した」、という説明を聞くことになったわけです。
その説明を聞いた元リーダーは、自分のチェックの甘さを恥じながらも、その担当者の判断に疑問を感じ、そのことを担当者に問うたというのです。
全員がスタッフであり、仲間であり、確かにやる気のないスタッフもいるかもしれないが、かといってこちらが勝手にチャンスを削除してしまうというのはいかがなものか?
それは人道的な行為と言えるのだろうか?
さしずめそのような会話ではなかったかと想像いたします。
それを聞いた担当者は考え始めます。
そして自ら結論を導き寄せます。
自分のしたことはとても人道的といえる行為ではない。 相互理解、相互扶助の精神育成を標ぼうする団体にいて、自分のやっていることはそれとは対極のことをやっている?
思い遣りや気遣いという世界の反対方向に進もうとしている?
そんな気づきを得たその担当者は、その他議題で提案します。
私はこんなことをしてしまった。 取り返しのつかないことかもしれないが、事実を伝えたくて・・・
若者だけでは沈黙するしかないムードが続きます。 しかし大切な時間。
私は最後に一つの方法を提案します。
これはピンチではなく、チャンスに変えられる大切な機会であるということと共に。
彼らがこれからどう行動するかはわかりません。
ただ確かなことは、 本当に今年のスタッフが成熟してきたという事実。
本来なら苦し紛れに欠席したり、指摘されても開き直ったり、自己弁護に終始するのが大体の構図のような・・・
ところがこのスタッフさんたちは少しずつではありますが、 人間本来の素直な気持ちや、良心と呼ばれる状態に身を置くことが自然にでき始めたのです。 自らの選択として。
苦痛を伴う時もあるかもしれませんが、 そして最大限の勇気はいるのだけれども、 その次に生まれ来るものの存在を確信しているかの如く、 自分たちで真理という喜びの世界を構築しようと動き出しているのです。
私はとても素晴らしいことだと思います。
そして彼らに誇りを感じますし、誇りに思います。
私が仕掛けるのではなく、 自らがそんな風に、自分を、自分たちを見つめあえるようになってきた。
そんなスタッフが増えてきたのです。
そんな風にその他議題を使い始めてきたのです。
だから7時間みっちり濃い~~ミーティングになってしまうのです。
正直体はガタガタになりますが、
正直心はホカホカになります。
さあ、 そんなあいキャンミーティングも再来週で最後です。
もうありません。
私ただ一人、12年間繰り返し見続け、参加し続けてきたこのあいキャンミーティング。
少したくましくなった若者たちの顔をひとりひとり眺めながら、 至高のひと時を過ごさせていただきましょうかねぇ。
特権ですから・・
と言いながら、頭の片隅ではまたオオゴトな何かが起きるんじゃないのかと・・ (笑)
まあそれも含めて、心から楽しもうと思っています。
ガンバレ、 若人たち。