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チャンスのお話
2012年10月12日 | 雑記

今週も最高にいろいろありましたなぁ・・・ 。

本当にありがたいことです。

 

こう書くとたいがいの方は、 「ほう、いいことがいろいろあったんかー」「よかったなー、おまえは・・」

っていう感じに思われるのかも知れませんねえ。

感謝するということは、いいことがあったんだろう、ありがたいことがあったんだろう、と思われても不思議ではないですよね。

でも、私の場合、それはちと違っております。

とても有り難い(ありえない)、腰抜かすほどショッキングなこともありましたし、 毎日様々な方とありがたいお話をさせていただきましたし、 友人と感謝を分かち合うことも出来ました。

そう、 いいことも悪いことも、ありがたいことなので感謝なのです。

では、なぜ悪いことも感謝なのか?

 

それこそが最高の気づきを得られる可能性に満ち溢れたチャンスだからです。

 

って書いても  「お前はアホか」  ですよねー。  そうよねー。

エーエーそうですよ。 アホでんがな。 

ではなくて、 たとえば今回は、全く予期せぬ出来事が身の回りに起きて、それは私に高額の損害を発生させた。

しかもそれを引き起こしたであろう人物は分からない。 逃げた?

そこから人は自分の思い込みという心に支配されていきます。

私に恨みを持つ人物か?

近所のあいつか?

いやいやあいつか?

?????

なんていう際限のないジレンマに支配された自我は、「不安」や「怒り」をドンドン増幅させていき、苦しみと憎しみという本当はほしくないものを作り続けます。

でもその時、実はもう一つの自分(良心という名で呼ばれる冷静で理知的な自己)はドンドン隅に追いやられてしまっていたりするわけです。

真実は全く違っているかも知れないのに、思い込みと言う名の暴徒は留まるところを知りません。

そうやって人は、そうではないかもしれないのに、そうだと思いこみながら、どんどん不安と怒りの渦に巻き込まれ、本来必要としていないエネルギーによって、自らを消耗させてゆく訳です。

 

少なくともそのような体験を過去に持つ私は、自分を観察し、他人も観察する中から、少し自我をコントロールすることができるようになりました。

淡々と様々な機関に対応し、 その間にも淡々と仕事をこなし、 復旧の依頼を各業者に発注し、 その間も心乱さず、 静かに在る。

そうしている中から見えてきた犯人像。

それでも心は動かない。

本人から事情を聞くまでは下手な想像すらしない。 感情も動かない。

そして犯人さんとご対面。

初対面の犯人さんにまずお聞きしたこと。

「私に恨みでもありました?」

とんでもないという仕草で否定をしていただきましたその犯人さんは、泥酔状態で自分がやったことを全く覚えておられない状態でした。

ここである人は、「そんなことがあるか」 「いい加減なことを・・」と怒り心頭するかも知れません。

しかし、ここでもまた私は、「私も飲んだら忘れてしまうので気持ちは分かりますよ」 と反応してしまうのです。

でも実際の損害についてはどうしても弁償していただかないといけないので、大体の見積金額をお知らせいたします。

すると、 「会社を整理してしまい、そのために資金を使い果たし、母親も田舎から呼び寄せて二人でアパートぐらしをしています」「現在定職もなく、すぐにまとまったお金をご用意できないのですが、明日には何がしかのおカネを用意いたします」

ここでもある人は、「そんな話は信じられない、今すぐ誰かに持ってこさせろ」 と反応するかも知れません。

私はそうは言わずに、 「今は私に対する損害の弁償のことをお考えかも知れませんが、実はそのことよりも大切なことがあります」  「このビルに住んでいる入居者の皆さんが受けた心の傷という問題は深刻です」  「またお店の店主さんの心痛たるや、どうでしょう?」  「店の存続にかかわるかも知れません、そうなれば、その店に通うお客さんにとっての居場所さえなくなるという事になってしまうかも知れません」  「ご自身のされたことは器物の損害だけではなく、目に見えない部分をも大きく傷つけたのかも知れませんよ」  「私に対する損害賠償だけを考えるのではなく、周りの皆さんに対してお詫び状なりを書いて、見えない事までも大切にされてはいかかでしょう?」  「警察からは刑事訴訟するかを今晩中に返事するよう言われていますが、あなたとのやり取りで見えてきたことを大事にして、今回は訴訟をしないようにいたします」

そんなお話をさせていただきました。

その方は、深く、何かに気づかれたようでした。

 

翌日、約束の時間通りにいらしたその方は、どこからか集めてこられた新札の一時金を、申し訳なさそうに差し出してこられました。 苦労して集められたのだと思います。

ありがたく受け取りました。

来週に、残金をお詫び金も含めて、予定額以上持ってきますということでしたので、それは丁重にお断りし、業者からの見積金額で結構ですとお伝えしました。

そんなやり取りの後、その方は 「すみません、お詫び状がまだ書けていません」  「書こうとするのですが・・・なかなか書けなくて・・」 と言うことでした。

私はこの方が真摯に自分と他者に向き合おうとされていると感じました。

「ゆっくり考えて書かれてください」 そうお伝えして別れました。

 

ざっとこんな感じの出来事なのですが、 お分かりでしょうか?

この出来事こそが、最高の気づきを得られる可能性に満ち溢れたチャンスであることが?

 

自分の自我(エゴ)に、心を支配させないという選択も出来る。

不安と怒りを表出させないという選択も出来る。

このように、出来事に対していかに反応するかという選択は、自由自在なのです。

怒り心頭の1日を過ごすこともできるし、 同じ出来事なのに、淡々とした1日を過ごすこともできる。

それどころか相手の立場さえ汲み取り、理解することだってできるのかも知れません。

どれだけその方自身が傷つき、苦しんでいたことか・・・

 

憎しみに染まるはずの1日が、 共感と同調の1日にすることだってできるかも知れないのです。

そんな中から生まれてくる人としての関係は、これで終わりではなく、始まりとなるかも知れません。

 

何を生み出したいか?

何を創りたいか?

その都度、その都度、私たちは選択ができるというキセキ。

出来事は、ただ出来事であり、大切なことはそれに対する反応の中に在る。

 どう私は反応するのか?

そんな大事な気づきを得られるかも知れない「チャンス」なのです。

だから、悪いとされていることも、私にとっては感謝の対象であるのです。

 

お分かりになっていただけましたでしょうか?

 

なに?  やっぱりお前はアホや?

 

おありがとうござい~ 。

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