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不安な笑い
2013年8月29日 | 雑記

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『嘲笑、冷笑、乾いた笑い。 人の心を踏みにじる言葉が、ネット空間を飛び交っている。 テレビをつけても、空気を読んだお追従笑いばかり。 本来の笑いはいったい、どこにいったのか。 あなたは最近、心の底から笑ったことがありますか』

という問いかけに対して、漫画家の辛酸なめ子さんが答えていた。

「インターネットを始めたのは1993年ごろで、人より早い方だったのでネットの世界に抵抗はないのですが、フェイスブックだけはやりません。 自分の人生を楽しそうに演出し、「いいね」を押し合う。 そんな「幸せアピール」の共同体に、どうしてもなじめなくて。 そういうの、昔は年賀状くらいだったのに・・

今は、誰もがいつもスマホやアイパッドを見続けている、いわば情報中毒社会。 情報中毒の症状っていうのは、常に刺激を求める状態になることです。 そして、そういう社会で人々が最も渇望するのが「笑い」です。

コメディアンがただ滑って転ぶだけ。 そんなに無邪気な笑いがテレビから消えたのは、空気を読み、格上の人がスベらないよう協力しあう現実社会の縮図のような芸人社会が、テレビの世界に入り込んできちゃったからではないでしょうか。 芸人さんのやる気を高めるため、ディレクターが率先して大声で笑ってることも多いですし。

人を笑わせるのってたぶん、攻撃の一種なんです。 相手の感情を支配するということだから。 笑いは、ほかのどんな感情より相手を脱力させ、無防備にさせる。

 

ネットでも嘲笑のサインである「w」の文字をよく見かけるようになりました。 「あのアイドルが激劣化www」とか。 あれを見るたび、世の中荒れてきたなと思う。 悲惨な事件や事故のスレッドでも「w」付きのコメントをよく見かけます。 万能感や優越感にひたってるんでしょうか。

権力者に対するネガティブな気持ちの集積は、いつの時代にだってある。 ただ、最近はネットやテレビが、そうした負の感情をかつてなく深くしているような気がします。 セレブたちの華やかな私生活や交遊を簡単に垣間見ることができるようになり、自分の現実と比べては鬱屈する。 そんな状況を生み出しているのかも。

食べログの点数やアマゾンのレビューを見ていると、そのうちフェイスブックで人の点数をつけあっちゃったりする時代が来るのかな、と思ってしまう。 日本全体が格付け社会だから、気が抜けないんですよね。

 

とある高校の生徒たちが、授業で互いのいいところを書き合う番組を見たのですが、ほとんどの子が「ノリがいい」って書いていて。 そうか、ここまでノリをアピールしなきゃいけないんだ、高校生も大変だ、と思いました。

面白くなければ、別に笑わなくていいんじゃないですか。 ノリが悪くて誘われなくなることや、友達が減ることがそんなに怖いですか。 ひとりの時間を楽しめるようになれば、集団の中でひとりになっても怖くないはず。

誰かと笑いあっている環境から距離を置き、自分が本当に楽しい、幸せだと思えることは何なのかを突き詰めてみてはどうでしょう。 落語、映画、民話、何でもいい。 笑いの幅をいろんな方面に広げていけばいい。

最近大笑いしたこと。

座敷のある店で友達の恋愛相談にのっていたら、こっちに背を向けて座っている男性のズボンがずり下がり、お尻が半分以上見えていて・・・ 。

そういう単純な、どうでもいいことを日常の中に見つけて大笑いすること、案外大事だと思うんです。 あめのうずめが裸で踊ったらアマテラスオオミカミが出てきちゃった、みたいな。

笑いは人間の根源的な感情と最も深く結びつくものだから。

社会の歯車となるために、笑うんじゃない。 自分の人生を生きるために、自分の笑いを取り戻しませんか」

 

 

今が旬?のSNS(遅すぎ?)についても触れられておりますが、私なんぞフェイスブックにとりあえず登録したものの、結局本能的に見なくなり、実際知ってる人からの友達申請のみ承認する、その時だけ開いてみる、という横着な使い方をしておりましたら、なんでか知りませんが、そのうちFBからのお知らせメールが迷惑メールに振り分けられるようになり、まあいいかっ、てなもんでそのままにしているというふざけた人間ですので、あまりどうのこうのと言う資格はありません。

でもなめ子さんの言っていることの中の、刺激を求めすぎた情報中毒患者さんが蔓延してきたなあ、というくだりは同感してしまいます。

なにがそんなに知りたいのでしょう?

何がそんなにほしいのでしょう?

今日の一日の中に、楽しいことは何もなかったのでしょうか?

感謝することは何もなかったのでしょうか?

そんなに人が気になりますか?

そんなにたくさんの友達が必要ですか?

自分の時間の中に、あなたはいますか?

 

そんなメッセージを感じてしまいます。

 

ネットでつながらなくても、毎日のように生の人間たちが訪れたり、出かけて行ったりしながら眼前の今のつながりを生きる。

それだけでおなか一杯になる。

友達も常日頃から一人いればいいと思っているので、不安になることはない。 (こんな私でも一人はいるってこと)

何もないような1日がありがたい。

平和である証拠だから。

他からの情報を入れすぎるより、自分の中から湧き出てくるものの方が気持ちがいい。

主体的でいる証拠だから。

 

昨夜も久しぶりの友人たちと、共同体験した昔話に花が咲いた。

昔とは違う笑い声に満たされ続けた。

まだその昔日には感じ得なかったものまで、それぞれの体験を通して生まれたふくよかな感性が、単なる過去の思い出から現在の喜びへと昇華させる。

笑いが豊かなものに変わる。

単なる「言葉」ではなく、本人たちの「笑顔」を見てまたおかしくなる。

ネットが逆立ちをしてもできない世界を、本当は太古の昔から人間は持っている。

 

目の前の人々と、バカなことで笑いませんか?

そんなことを遠巻きに表現してくれたのかなあと思います。

 

まあ私がこんなことを言っても、ネット落ちこぼれ野郎の悪あがきということになるんでしょうが(笑)、この機会、ぜひ大いに笑ってやっておくんなせいやし!

 

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