青葉土地コーポレーション 青葉土地コーポレーション
ブログ
不完全だから気づけるチャンス
2014年1月11日 | 雑記

ずっと以前より気になっていることがあります。

この世に「健常者」と呼ばれる人間は存在するのか?

 

一般的に「区別」されてきた「健常者」と「障害者」であるが、それは本来「差別」するためではなく、その障害の種類や程度に応じた専門の教育を受けるためであったり、各種年金受給や福祉を提供されるために必要であったりするために区別してきた訳であろうと思われる。

それはある意味分かりやすくするために必要なことであると思うのだが、私の言うところの今回の「健常者」という概念は、従来使われてきたそれとは少々ニュアンスが違うのである。

それは私自身を例にとっても分かることなのだが、私は決して自分を健常者だとは思っていないということなのだ。

どういうことかと言えば、考え方にしろ行為行動にしろ、なにぶん様々な癖があり、ある人から見ればそれは想像を絶するほどビックリすることかも知れないし、迷惑をかけていることかも知れないし、嫌われることかも知れない。 それは癖のみならず、単に表情一つであったり、見た目だったりするかも知れない。 しゃべり方であったりするかも知れない。 存在そのものが忌み嫌われているのかも知れない。

そう考えるとそれは一種の障害と言えるのではないのか? ということなのです。

完璧ではないということなのです。

その意味でいうなれば、実のところすべての人間は「不完全という完璧」なのかも知れないのです。

そしてその不完全さゆえ、様々な問題を誘発し、関係を悪化し、自他共にいがみ合い、憎みあうことすらできてしまうのではないでしょうか?

そしてまた同時に、その不完全さに気づく体験をすることにより、その関係を修復改善したり、助け合ったりすることも出来てしまうのではないでしょうか?

そんなことを何気に思います。

でも、

そうではない考え方の人も居ます。

あいあいキャンプに長い間来てくれていた、脳性まひのある車いすの少女とその家族がある体験をしています。

家族であるショッピングモールに出かけた時のこと、そこにはエレベーターがなくエスカレーターのみの環境下であったために、いつもやっていることとしてエスカレーターに車いすの一部を乗せて階上に上がり、ショッピングを楽しんでいたところ、警備員のおじさんが慌ててやってきました。 そして興奮した顔で「どうしてここに車いすでいるんだ、ここは車いすは立ち入り禁止の建物だ。ルールでそう決まっている。早く出ていかないと私が怒られる」 すごい剣幕でまくしたてた後、そのおじさんは荷物の搬入搬出用に使うための、人の乗ってはいけないエレベーターにその家族を無理やり乗せて階下に降ろしました。

その後その家族は泣きました。

私たちは「もの」ですか? 人間ではないのですか?

後日そのことは新聞にも掲載されることとなり、すべての関係者に与えたショックはそれなりにあったことだろうと思います。

さて、 ここで考えて頂きたいのはおじさんを攻撃することではなく、その時のおじさんは「健常者」だったのだろうか?ということです。 そのおじさんが「私」だったらその時どうしたのでしょう? すべての事件や事故の加害者は、遠い人なのでしょうか? それともいつかの自分なのでしょうか? だとしたら「私」はそれでも「健常者」なのでしょうか?

 

こんなこともありました。

電車の駅でおばあさんと孫らしい少年が電車を待っていました。 そこに車いすに乗った若者が現れ、同じように電車を待っています。 するとおばあさんは、やおら少年のもとにしゃがみこみ、車いすの若者を指差しこう言いました。

「見てごらん、悪いことをしたり言うことを聞かなかったりするとあんな風になるんだよ」

 

私たちの心の中に、その「おばあさん」は決していないと断言できますか? どんな時にもどんな場所でも、形や姿を変えて現れたことはありませんか?

その時々において、人を批評する前に自分を批評してみませんか?

どこかでそうしないことには、何時まで経っても自分は「完璧」(健常者)だと思い込むばかりですよ。

せっかく自分は不完全だと気づけるチャンスなのに。 気づければ修正出来るかもしれないのに。

 

そういう意味で私は立派な「障害者」なのです。 どう考えても。

だからこそ、 だからこそ、あいあいキャンプで活動してきたように、子どもたちや若者たちにどんな障害があろうがなかろうが、どんな境遇であろうが、みんな自分と同じように思えるのです。 だから差別できないのです。 区別はしても。

そう思える原点は、 「私は障害者である」という自覚を持っていることのようです。

 

まあホントのところ、最新の知識として認識すると、ホンマもんの発達障害の気もありそうですし、これはもはや正真正銘の障害者かも知れませんねえ。

いったい本当に健常者と呼ばれる人間は存在しているのでしょうか?

いたら一度お目にかかってみたいものだと、常々思ってはいるのですが・・・

 

失礼、 そう思っている私こそがやっぱり「障害者」でした。。

 

 

 

 

 

カテゴリ
月別アーカイブ
記事検索