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二つの幻
2012年2月10日 | 雑記

日本にかかわらず世界中で「経済」という幻が変異にさらされている。 長い間(といってもたかだか百数十年くらいだが・・)、成長こそが幸せの源といわんばかりに追いかけ続けた幻さんがやっとその本性を現し始めたような気がするのはどうも私ばかりではないようです。

フランスの経済学者、ダニエル・コーエン氏の言葉から少し今までの経済を振り返ってみましょう。 もっともほんの一部だけですけど・・

 

”18世紀までは、経済的、技術的に進歩があっても、それは結局のところ人口の増加に寄与するだけで、一人あたりの所得を増やすことはなかった。 一人あたりの所得を摂取カロリーで考えると、石器時代の狩猟採取社会と比べて、英国の産業労働者がそれほど豊かになったわけではない。 様々な研究によると、有史以来、貴族などを除いた90%の人々は、間違いなく現代の最も貧しい人々と同じレベルの収入で暮らしていた。 つまり1日1ドル。

しかし、19世紀から欧州で、次いで日本でもそれまでと違うメカニズムが急速に形成されていった。 つまり、豊かさが一人あたりの所得につながっていった。  これは産業革命とともに欧州で発明されたもの、また17世紀の科学革命の成果でもある。 そしてそれは自然と人間の新しい関係を切り開き、物質的な社会を築き、我々は今そこに暮らしている。

けれども一人一人の幸福は増えていない。 かつては、社会が豊かになれば人口が増えるが、一人一人は相変わらず貧しかった。 今、同じような言い方をすれば、 経済が成長すれば一人一人もより多くの財を手にできるが、より幸福にはならない。、 ということだ。

豊かになることは幸福になったということにはならない。 快感は成長が加速するときに得られるだけだ。 新しいカメラを買った初日みたいなものだ。 1年は続くかもしれないが、そのうち飽きる。

人を幸せな気分にさせるのは成長であって、豊かさそのものではない。 到達点がどこかは重要ではない。 重要なのは「もっと、もっと」という感覚だ。 だから、大きな幸福感を得るときというのは、残念ながら日本も経験したように、すべてを破壊する戦争などのあった後だ。 とても大きな苦しみの後、30年にわたって幸せを感じることができる。

たとえば中国人は、これまで50年に渡り狂った政治システムの牢獄にいたようなものだ。 そして今、彼らは成長することを味わっている。 だから私たちよりずっと活気がある。 他方、中国人から見れば、我々欧州の社会は信じられないくらい豊かだろう。だが、成長がなければ、豊かだと感じられない。

欧州は90年代の日本のような「失われた10年」に向かって出発したのだ。 当分、成長をあきらめなければならない。 そうなると、社会のもろさが見えてくるだろう。 経済がどんどん成長することで幸福を感じてきた社会だから、停滞とうまくやっていくことができない。 そして極端な主張をする勢力があちこちで台頭して、民主主義も危機を経験している。 不寛容で不幸な社会・・・・・

・・・・

成長という中毒症状から抜け出すには、自分たちの欲望を操っている法則を理解し、行動しなければならない。 しかも、地球環境にのしかかっている負荷を考えれば、その法則をリアルタイムで把握しなければならない。 我々の快楽が「もっと、もっと」から来ることを理解し、それを制御しなければ、何の利益にもならない競争が結局、エコロジー上の大災害につながるだろう。

しかし、人間が成長のない世界に向かうとは考えにくい。 ただ、今までとは本質の異なる、理にかなった成長を目指さざるをえない。 たとえば知識の成長、医療の成長だったり・・・。 いずれにしても物質的ではない成長だ。

21世紀は必ずしも楽しい時代にはならない。 人間の本質についても新たな見方や価値観ができつつあるのだと思う ・・・・・ ”

 

 

行き着くところは・・・   ダニエルさんをもってしても 「自問しているところだ」 そうであります。

あくまで考え始めるきっかけとしてご紹介させていただいたものでありますが、 いい加減ではなく、 本気でなにがしかの答えをそれぞれが用意する時代が近づいていることは間違いないように思います。

もちろん、「答えなし」 でもいっこうにかまわないのですが、 そのときが来て、 慌てふためいたり、 罵声怒声をあげたり、 周りの人を困らせたりしないようにしましょうね。

大きなシステムとか、 力関係だとかのせいにして、 いつまでも被害者を装う生き方そのものが今の現状を生み出したのかもしれないのですから。

少なくとも、自分の身は自分で守る、というくらいの考え方には立ちながら、そのための「準備」を始めたいと思います。(少しはやってる)

同じ目に見えない幻でも、 経済という幻より、 在り方という幻(本当は実態だと思うのだが・・)を信じたいと思うのは、 やっぱりあたちが変なんでしょうかねぇ?

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