障害児・健常児合同「あいあいキャンプ」なる活動を、2001-2012年にかけて12年間開催させていただいたわけですが、その間に出会った子どもたちも延べ300人くらい居たと思います。
それぞれに個性的な存在であり、周りのみんなにとってもかけがえのない子どもたちであった事は紛れもない事実でございます。
もちろん私にとっても・・
そのキャンプも、高校3年をもって卒業せざるをえないわけで、特に障害をもっている子どもは、その多くが進学ではなく、就職に向けて活動していきます。
無事に就職が見つかる子もいれば、作業所に行く子、そのまま自宅待機するしかない子と様々に分かれていきます。
そんな中、ある農業NPOに就職が決まり、1年ほどたった元キャンパーの女性の母親からお手紙を頂きました。
その元キャンパーさんは生まれたときから脳性まひという障害を持ち、少しだけ動く左腕と、左腕の少しだけ動く親指と人差し指、だけどいつも明るい笑顔と、そしてとてもよく動くお口で(爆)、そしてそしてなにより温かい家族愛に支えられ続け、実にチャレンジングな人生を歩み続けておられます。
あいあいキャンプでも、それはそれは周りの健常児や、多くのボランティアスタッフにとてつもない影響力を与えてまいりました。
そんな彼女が、今年成人式を迎えたようですが、その前に、内子町でのその式場で、自ら発表挨拶をさせてくれと、役場の人に申し出たようです。(笑・彼女らしい)
そしてそれを聞いた教育委員会から、人権同和研究大会でも発表して欲しいと依頼があったようです。 その時に発表する挨拶を母親が同封してくれましたので、ぜひ皆様にもご紹介させていただきます。
“ 本日は1月の成人式に続き、私に意見発表の場をいただき、ありがとうございます。
私は、予定より3ヶ月も早く、生まれたときの体重が1208gの極小未熟児として誕生しました。
1歳のときに、脳性まひという障がいがあることが解り、「一生寝たきりだろう」との診断結果だったそうです。
障がいをもった私が、将来親がいなくなった後、兄弟を頼らなくても一人で生きていくことが出来るようにと考えた両親は、私にいろんな経験をさせてくれました。
2つ年上の姉の通っている保育園にもお願いをして交流をさせてもらい、その中での経験と刺激により、みんなと同じように出来なくても、みんなの輪の中にいたいと思うようになり、地元の小学校に入学させてもらうために、何度も役場との話し合いを続けました。
みんなと一緒に過ごした小学校での生活は、一緒に授業を受けたり、私のために特別ルールを考えて遊んでくれたり、移動のときは車いすを押してもらったり、2階に上がるときは上級生が日替わりで車いすを運んでくれたりして、みんなと同じ学校に通うことが出来て本当によかったなと思いました。
学校での生活と共に、毎年夏休みには、一人で3泊4日のキャンプに、小学校1年生から高校3年生の時まで毎年参加しました。
そのキャンプは障がいのある人と、障がいのない人が、ボランティアスタッフと共に、朝から火をおこしてご飯を作ったり、1日の活動を決めたりと、みんなが1つになって作り上げるキャンプでした。
今もそのキャンプのメンバーの人たちと交流をしています。
中学校も2年生までは地元で過ごしましたが、いろいろなことが重なり、中学3年の時にしげのぶ特別支援学校への転校と、寄宿舎での生活を自分で選択しました。
4年間のしげのぶでの生活で、身体障がい者の私が仕事に就くとしたら、パソコンを使った仕事しか出来ないと思った私は、進んでパソコンを勉強しました。
高校卒業後、1年間は施設での生活を送りましたが、去年の4月からずっとあこがれていたパソコンを使った仕事に就いています。
毎日自宅(内子町)から松山までの通勤は大変ですが、仕事をこなすにつれ、やりがいも感じられるようになりました。
今は両親が、毎日片道約1時間をかけて送迎をしてくれていますが、いつまでも今の生活を続けることは、私の身体にも両親にも負担がとても大きいです。
地元に私の働ける場所があれば一番いいのにと、いつも思っています。
また他の地域では、障がいを持った人が受ける事が出来るサービスを利用することが出来ないため、私の生活のすべてを両親が負担しています。
私は、私に障がいがあることで、両親に負担をかけていることをとても心配しています。
なぜなら介護には休みがないからです。 たとえ仕事が休みでも介護に休みはありません。
生活のすべてにおいて介護が必要な私は、人のサポートがなければ生きていくことが出来ません。
仕事への送迎も、日常生活も、他の地域ならヘルパーや福祉タクシーを使うことが出来ますが、そのサービスもなく、私の生活をサポートしてくれるヘルパー会社も人がいないという理由で、支援を受ける事が出来なくなっています。
もしも今、両親が病気や怪我をしたら、私の生活も出来なくなります。
今、本当に困っています。
困っている人がいるということを知ってもらい、今後の私の生活のサポートについて、私と両親と一緒に考えてほしいです。
きっと私たち家族以外にも、同じように福祉サービスを受ける事が出来なくて困っている人がいると思います。 だけど、声にしてあげず、家族が全部負担しているのだと思います。
私にはたくさんの夢があります。
結婚もしたいし、子供も産んでみたいと思っています。
一人暮らしも夢のひとつです。
他の地域では、私より障がいの重い人でも一人暮らしをしている人がいますが、現時点では、私の夢をかなえる事ができません。
もっとヘルパーさんを派遣してくれる会社を増やしてもらい、ヘルパーさんと外出したり、福祉タクシーを利用することが出来たりすれば、両親の負担も減らせるのでは、と考えています。
そして、自分がいろいろな経験を重ねる事で将来の一人暮らしへの夢も、現実になると思っています。
私は、自分の生活ももちろんですが、両親や兄弟、そして同じ障がいを持った人を支えている家族のことも、自分と同じように大事に思っています。
私も、障がい者になりたくてなったわけではありません。
私だからこそ、障がいという試練を乗り越えることが出来ると思われたからこそ、今の身体で生まれたのだと思います。
たとえ障がいがあったとしても、私は毎日がとても楽しく充実しています。
それは、私の周りには、私や家族を支えてくれる人がたくさんいてくれるからです。
周りの人にはとても感謝しています。
これからも私は、みんなと同じように出来なくても、私は私なりのスピードで、少しずつ前に進んで、いつまでも親にサポートをしてもらわなくても、自分のことは自分で決めれるように、周りの人たちにサポートをしてもらいながら、自分の人生を精一杯楽しもうと思っています。
そうして、笑顔でチャレンジをしていくことが、自分のためにも、そして誰かのためにもきっとなってくれるはずと、強く思っています。
今日は、私の発表に耳を傾けてくださり、本当にありがとうございました。 ”
細川加奈
いかがでしょう?
自ら重い障害を持ちながらにして、 二十歳にして、 家族をおもいやり、 障害を持つ多くの人やそのまた家族をおもいやる。
その人たちの代弁者となるべく、不自由な身体の自らを世間にさらけ出し、一身にその風を受ける。
わたしたちにそれが出来るでしょうか?
彼女の言うとおり、「私だからこそ、障がいという試練を乗り越えることが出来ると思われたからこそ、今の身体で生まれたのだと思います」 ということなのだと思います。
生まれてから今日に至るまで、その役目と約束を忘れず、自らの本心に正直に、うそをつかずに生きている。
だから彼女はずっと輝いているのだと思います。
ぜひ会ってみてください。
その意味が解ります。
いつでもご紹介しますよ。
人と比べる事に意味は感じませんが、
人を知ることには大いに意味を感じます。
久しぶりに彼女から勇気を頂きました。
ありがとう。
かなピー。