2014.6.22
この日は、言い尽くせないほど深く、清らかで、ひとつであり、しずかで、あたたかく、 しかも溢れるほどに満ち足りた気持ちになったという、過去に記憶がない日となった。
高校の時から寮生活で家を出た息子が、横浜みなとみらいで結婚式を挙げた。
迷うこともありながらの青春時代の末に、選択した初心の進路。
通称JR東海と呼ばれるその企業に入社し、それからずっと東京駅で幾多の研修を経て、改札業務から始まり、様々な業務を体験してきた。
そして今、憧れの新幹線に乗り、車掌業務に従事している。
運転士になるという、少年時代からの「夢」をかなえるために。
まだまだ子どもだと思っていたそんな息子も、1年ほど前に入籍したことは前にも記したのだが、実は結婚・披露宴は行っていなかった。
何分まだ新人でもあり、研修も多々こなさねばならないし、業務は運輸業のそれなので不規則なシフトで、上司も同僚も同様な環境だから仕方がないことだと思っていた。
それが入籍から約1年後のこの日、会社の皆さんにも多数来ていただきながらの結婚・披露宴。
気持ちのいい仲間である同僚、一本筋の通った理念を共有する上司のみなさん、松山の小・中学校での親友たちと、両家の親族という構成で、最初から最後まで乱れることのない波動を共有できた。
奇をてらった場違いの演出もなく、親族の子どもから高齢者まで、あらゆる人が楽しめる配慮ある式でもあった。
この式の日取り決めや予約、松山からの親族や友人のために、インフラ負担にならないホテルや式場の選択と様々な交渉、しかしそれでいて落ち着いて都会を楽しめる環境、もちろん費用は二人持ち。 そして式のプログラム作成や演出等々を新郎新婦の協働作業で準備してきた。
実は去年式をあげなかった本当の理由は、「貯金がなかったから・・」だったのであるが(笑)、二人は、親に頼るという選択を排除した。
だから1年をかけて、貯金も含め、各種手配と備品作成に奔走したのである。
自分たちの式は、自分たちで創る。
そんな心意気がひしひしと伝わってくる二日間であった。
いつの間に、こんなにたくましくなったのだろう?
いつの間に、こんな気遣いができるようになったのだろう?
いつの間に、計画と交渉と実行ができる人になったのだろう?
長い間、離れて暮らす息子の成長ぶりを見ることも、今回出席するひとつの楽しみであったのだけれど、私の事前予想は、砂上の城のごとく崩れ去った。
親バカと言われることは百も承知で言わせてもらうと、私の若かりし日のレベルの低さに愕然とせざるを得ないほどに、二人の考え方と準備力はすごかった。
同じ東京に暮らす彼の妹が作った、手づくり「welcome board」に出迎えられた私たちは、少しずつ披露宴のムードに酔いしれて参ります・・・
この日は、東京駅長さんと助役さん3名、十数名の同僚らが、まさに多忙の中を出席してくださっていたのですが、それらの方々から、異口同音におっしゃっていただいたことは、頑固でスキルはまだまだだが、人間力の高さは買ってくれている息子と、スキルも人間力も高い花嫁さんと、ということであった。(爆)
駅長さんと助役さんとの3人でお話していた時にお聞きした、息子のその頑固さぶりとは、助役さんに対してでもかれこれ問題だと思いますが、なんと駅長さんに対してまで、プロジェクト企画立案などにおいて、泣きながらでも、頑として自分の意見を貫き通す有様だと言われ、内心「 ひぇ ~ ~ 」状態でありました。 しかも、基本顔はいつもニコニコしながらというのですから、ふつう相手は戸惑いますよね~ 。
誰に似たのか、もうお分かりですね。
そう、 かみさんです 。
別格の頑固さなんです。 ホント。 こう見えても私は大したことないんです。 ホント。
しかし、駅長さんはこうも言って下さいました。
「でも、JR東海という会社はそれくらい頑固でないと務まりません。 一つの信念を貫く意思がなければやれない風土があるのです。 そうやって先達から受け継いできているのです」 ともおっしゃってくださいました。
これは良いようにとっていいのか、悪いように取るべきなのか、かなり微妙なニュアンスを感じたのも事実ですが、息子が好きだという助役さんからフォローしていただいて、ひとまずというか、無理やりにでも安心することにいたしました。。
この会社幹部の方々のスキルは、言うまでもないことかも知れませんが、すこぶる高く、歴代の名物経営者から引き継がれている「芯」の通った経営理念を実行し続けておられる「サムライ」のようなにおいのする方々でした。
(リニア事業も補助金、助成金なしの自己資金ペースで、すなわち別目的で忍び寄る外野の介入を避け、本当に対象となる乗客のために必要なこと、これからの日本に必要だと思えることを、純粋に主体的に創り上げようとしており、その歴代からの決断をゆるぎない信念で貫いている)
さすがに世界に打って出ている一流の企業の幹部は、空気感さえ違いました。 正当な謙虚さの中に、燃え滾る情熱を感じるのです。
ちょっと松山では出会わない「人格」でした。
しかし、 実はそういう方々に息子は育てていただいていたのです。
私のような、ボンクラ親父が育てるのではなく、こういう空気感に溢れる会社に育てていただいていたのです。
同僚の若者たちともお話させていただきましたが、下品な悪乗りが当たり前の世代とは思えないほど、一人ひとりが個性的かつ魅力的でありました。
一人ひとりが親身になって、私に息子のことを話してくれました。
すばらしい若者たちです。
そして最後までこのムードは保たれ、私は本当に関心してしまうと同時に、心からありがたく思えてきて、何度も泣きそうになってしまうのでした。
自分を持ち上げてくれたり、ほめてもらうことには何の興味も湧かない私ですが、 息子と花嫁が、こんなにすばらしい人たちから祝福していただいているのを見てしまうと、 素直な気持ちの中に、新種の喜びが溢れてくるという、生まれて初めての体験をしてしまったわけであります。
子どもをつくったから親になるわけではなく、その子どもからいろんなものをいただきながら(しんどいこともうれしいことも・・)、親になるチャンス、親として成長するチャンスを与えていただいているということが、よーくわかりました。
一生を通して、「親」「子」の関係はこういう風に続いていくのでしょうね。
まだまだ親業未熟者の私でした。
しかーし 、 未熟者であろうとなかろうと、 避けては通れない関門がこの日ひとつだけあるのです。
そう、 両家代表の挨拶でごんす 。
あのなかなか覚えられない、普段使わない定型文+ というやつです。
宴会中は、挨拶回りで復習の時間などなく、まともに考えると精神がおかしくなりそうでしたので、開き直ってその瞬間まで楽しみました。
二人の一度限りの晴れ姿ですし、貴重な情報収集の場ですからねえ。。
さて、 花嫁から花嫁の父への手紙朗読も終わり(助役さんの一人が中学生の娘さんを思い出して泣いていたらしい・微笑)、両家代表挨拶。
頭に描いていた文章とは多少違ってしまいましたが、基本の挨拶と、二人の今までの準備という努力の成果としての、輝く思い出と、生きる希望を得られた今の気持ちを忘れないように、ということと、二人の出会いの基となった、会社に対する感謝を忘れないようにというお願いを入れ込みながら、何とか簡潔に終わったような、 気もするのですが・・ また今度皆に聞いときます。
(おっと、年内断酒中の私ですが、乾杯でスパークリングワインを三口ほど舐めましたが、後はお茶。 生まれて初めて、超シラフで人前で挨拶しました。 これってすごいです。酒の勢い借りてないですから。 少し自分をほめてやります)
あぁ~、これで終わりかー、と思いましたら、息子から最後の御礼のあいさつが・・
これも二人がプログラムしていたわけでして・・
しかしこれが、度忘れしてなのか、感激してなのか、途中何度か詰まりながらのご挨拶。
それでも、私は隣で聞きながら、本当に彼の誠意を感じていました。
上司の言ったとおり、スキルはまだまだでしたけど(爆)。
しかし、 自らが、自らの言葉をもってして、参列していただいた皆さんに対して感謝を伝えたい、という気持ち、すなわち、人間として大切にしたい気持ち、この人間力だけは、どんなに大変だろうと、恥をかこうと、『伝えたい』。
そう決めていたのでしょう。
二人で、そしてみんなの力をお借りして完成させ、そしてそして、大きな想いの花を咲かせたであろう、この度の結婚披露宴。
頑固でスキルはまだまだの息子と、スキルも人間力もバッチリの花嫁を、
私は、心から誇りに思います。
おめでとう、 お二人さん。
末長くお幸せに・・・
『 結婚は神聖だ。
それは、神聖な義務だからではなく、
比類ない チャンスだからだ。 』
ニール・ドナルド・ウォルシュ
ps. すべての式が終わった後に、私たち夫婦に手紙を手渡した息子。
私たち夫婦が忘れかけているかも知れない内容に触れ、気づきなおしのチャンスを頂いた気持ちです。 皆さんにもおすそ分け。
本人了解を得ず掲載(ええやろ)。
父さん 母さん へ
” おとん、おかんへ。
中学を卒業してから親元を離れたので、手紙なんていつ以来か分かりません。
面と向かっては言いませんけど、
本当にここまで育ててくれたこと、感謝してます。
やりたいことやらせてもらい、進路のことも何も反対せず、常に応援してくれたこと、心から感謝しています。
ありがとう!!
小さい頃、四万十川や、愛知のじいちゃんばあちゃん家に車で行ったりと、いろいろな経験、体験をさせてくれた親父。
今の進路を見いだせたのもそういった経験があったからだと思う!
自分も欲しいものもあるだろうに、いつもオレや妹の事を最優先で接してくれたおかん。
本当に、 本当にありがとう!
由紀と結婚して1年が経ち、喜怒哀楽な日々を過ごしているけど、毎日が楽しいと感じてる。
独りで生きるより、誰かを想い、お互いが支えあうこの生活が、自分を豊かにしてくれている。
ときには衝突しあい、生まれも育ちも違う慣習に戸惑うこともある。
けど、ここまでぶつかり合える相手がいることのすばらしさ的なものも感じる。
そうやってキズナは深まるんだな。
由紀のお腹の中には、二人の想い、希望が宿っている。
おとんが、おかんが、オレに捧げてくれた無上の愛を、自分の子どもにも捧げたいと思う。
まだまだ若輩者で、世の中もよく分からずなオレたちを、これからもよろしくお願いします!
これからも身体には気をつけて。
2014年6月22日 智彦 ”