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内在する自己
2020年10月4日 | 雑記

極夜行」を執筆し、大仏次郎賞を受賞した作家、角幡唯介氏の記事を見かけた。

 

グリーンランドの極夜を、犬ぞりで壮絶な旅をした探検家でもある角幡氏は、帰国後、取材に来た記者に「探検は社会の役に立ってないのでは?」と問われ、驚いたという。

 

「そもそも探検とはシステムの外側に出る行為で、ある意味、社会や時代の価値観の否定でもあります。 にもかかわらず、『社会の役に立つ』という全く逆の文脈で問われたことにびっくりしたんです。 極夜を見に行くことが社会の役に立つわけがないでしょう」

 

「社会の役に立つ基準とは、生産性に寄与することだと思います。 国家や企業は国力や利益のために有為な人材を求めます。 公共心や道徳心も含む『社会の役に立つ』人材を求める。 『役に立つ』の裏に想定されているのは、『役に立たない』人たちです」

 

「己の内側から湧き上がるものに従って生きることで、人の人生は固有なものになる。 内在を経なければ、人生は外側の価値観を生きるだけになってしまいます」

 

「そこに山があって、山登りを始めた人が経験を重ね、段階を経るうちに、必然的帰結としてその山が『登らなければいけない山』として内在的に浮上する。 自分の中だけに存在する山に結晶するから、死の危険を冒してまでも登るのです。 まずは、内在的に湧き上がるものを見つめないと、生きる意味に到達できないと思います」

 

「ただ今は、試行錯誤してそこから答えを得る、自分なりに答えにたどり着くという時間が、生産性や効率性といった一元的な時間に押しつぶされていると思います」

 

「2011年に初めて北極に行ったとき、時間が限られている中で効率的に行動して結果を出すためにGPSを携行しました。 でも、強烈な違和感を覚えました。 北極にいるのに、北極的な本質から切り離されているような感覚に襲われたのです。 GPSはボタンを押せば、座標位置が示されるので、外界に向き合い、志向するというプロセスが不要になる。 例えば山頂がある。 あの地形は地図上のどこだろうかと考えることで、山頂が僕の内部に指標として意味化される。 地図で見て確認する作業を通じて、周囲の風景が自分の内部で世界化される。 そういった知覚を通じて、土地とつながる感覚がGPSにはなかったのです」

 

「そのことを5年間考えて、わかりました。 物書きで『熟考』が表現に、そして商売につながるかもしれないから考える時間を大事にできるのですが、普通の人はそんなどうでもいいことに長い時間は費やせないでしょう」

 

「僕は探検の本質を『脱システム』と考えたのです。 僕の探検は、自分には内在的な意味があるけれど、社会には無意味でしかない。 でも、そこを追求することで『役に立て』という生産性重視の社会の批評になるのではないか。 僕が『社会の役に立たないこと』を志向するのは、そう思っているからです。 僕の書いた本の読者がそこから今の社会に欠けている本質を何か感じてくれれば、その批評は成功したといえるのではないでしょうか」

 

 

 

一部のご紹介ですが、強烈なメッセージを投げかけてくれています。

 

マスコミも、企業も、大衆も、多くは「役に立つか否か」の基準で人や物を見ようとしている。

 

そしてそれにふさわしい、「人」や「物」をこしらえようとしている。

 

そのおかげで、人が本来持っているそれぞれに「内在」する固有なものを見つけそこない、創り出せない状況にあるのではないか? と問うている。

 

固有なものとは、他者は関係なく、自分だけの生きがいであり、夢であり、存在である。

 

それに気づけなければ、外側の価値観(会社や社会の言うまま思うまま)を生きるだけでは? と問うている。

 

試行錯誤するという一見無駄な時間を、あえてつくることが「冒険」なのかも、とも問うている。

 

 

 

 

いろんなものが未熟であった昭和という時代に、試行錯誤の連続でしかなかった日々が、どうしてあんなに楽しかったのかを思い出させてくれました。

一種の冒険だったのですね。

 

 

 

私にとっても、「無駄」だと言われ続けた活動や行為こそが、今の私を形作り、その私が生み出したものが、また誰かの今の役に立っているかもしれないことを思う。

 

主流に乗らず、自分の中の疑問や直感に素直になってみる。

 

そんなことから、本当の自分づくりが始まるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

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