2月27日土曜日、昼過ぎの便で名古屋へ飛ぶ。
栄のホテルにチェックイン後、友人と合流したあと彼の職場である介護施設へと向かう。
名古屋の一等地にあるその老人介護施設を見学し、説明を受け、その後2時間ほど歩きながら様々なことを語り合う。
学生時代、とても親しい付き合いをしていた友人であるが、当然のことながらこれまでの数十年間で様々な体験を積み重ねてきていた。
お互いのそんなことを話しながら、ここまで生きてこれたことの意味を改めて考えるとともに、感謝する。
語りつくせぬことはわかっているが、とめどもなく語り合う。
冷たい小雨がぱらつく中を、名古屋の大きな歩道をひたすら歩いた。
35年前に、それぞれの道を歩き始めた二人であるが、またこうやって語り合える喜びは、なんとも言えないものがある。
時間という魔法のおかげで、余計な色が消え去り、至極当たり前のようなシンプルな気持ちで過ごせること。
同級生という、この世で限られた関係者のみが有する至福であろう。
いい時間でした。
ありがとう友よ。
そして、その日のメイン会場へ。
と言っても、老舗のしゃぶしゃぶ屋ですが・・(笑)
35年前の恩師の米寿の祝い。
それが名古屋へ来た理由。
88歳という老人は、いかなる年寄りに変貌したか?
という当たり前の想定を用意していた私でありましたが、 見事に裏切られました。。
杖もつかず、おしゃれなコートを身にまとい、我々の祝宴に対するお礼の品々まで手に持ち、さっそうと現れたその恩師。
普通にビールで乾杯し、おかわりまで・・
そのあと焼酎までまで・・
もちろんしゃぶしゃぶもきちんと平らげ、聞けば肉が好きとのこと・・
なんたる存在。
私が学生の頃の、恩師の50代のその姿のありようが、その後の私の一つの目標であり、永遠に続く後姿として追いかけてきたのですが、 なんとまあ・・
今度はこんな88歳を目指さねばならなくなりました。。
朝日新聞社名古屋本社を定年退職し、その後も恩師らしい考え方と行動力で、この「今」を創ってこられたのでしょう。
定年後、生きがい、やりがいをなくしてしまうせいか、5年以内に亡くなるサラリーマンが多数いる実態を知っている身としましては、恩師のその心の在り方に敬意を表します。
どんな環境にあれ、常に人生を楽しむ姿勢。
その考え方にふさわしい行動。
感謝を忘れない心。
私にはまだ備わっていない数々の資質を垣間見ることができます。
だから素晴らしい人に出会うことは大切なんですよね。
同じ人でも、時間をおいて出会えば、今まで見えなかったことが見えてきます。
また大切な出会いになりました。
ありがとうございます。
そしておめでとうございます。
その場で急きょ決まった、初夏の下呂温泉旅行を楽しみに、それまでまた頑張ります。。
して翌日。
ホテルのロビーに迎えに来ていただいたのは、約4年前まで愛媛大学で教鞭をとっておられたI先生。
名古屋出身の先生は、母親の介護のために教職を辞し、帰郷していたのでありました。
松山時代には、毎週のようにカフェで語り合い、交流させていただいていた大切な方です。
自然に対する考え方等も共感でき、話がはずむ友人でした。
今回久しぶりにお会いしたいと思い、メールを差し上げたところ、お茶するどころか一日拘束してくださるとのお返事をいただき、拘束されることに相成ったわけでございます。(笑)
本人曰く、ストーカーですとのことですが・・(笑)
ホテルロビーでコーヒーを飲みながらでさえ、会話は途切れることもなく、そのままお昼の味噌煮込みうどん屋へ突入し(メチャウマ山本屋本店)、そして徳川美術館へと。
メールに、軽い気持ちで美術館にも行きたいなあと書き込んだところ、その時ちょうど期間限定で、豊臣秀吉に切腹を命じられた千利休(1522~91)が、自ら削り、最期の茶会に用いた「泪の茶杓」を利休忌にあわせて特別公開中ですとのこと。
「このタイミングで来られるとはさすがですねえ」と、持ち上げてくださるI先生の解説付きの徳川美術館は、本当に最高でした。。
そしてそして、徳川庭園の散策へと参るわけですが、その中の東屋に腰を下ろして、先生が持参したお茶を一服と相成りますが、お茶とともに、名古屋の名店、「芳光」のわらびもちが並びます。
なんという贅沢。
観光客がうらやましそうに見ていきます。
お日和も申し分なく、休日の質としても高レベルなものになりました。
が 、
先生はそれだけでは勘弁してくれませんでした。。(笑)
おもむろに取り出した、能楽で使う篠笛を構えて一曲ご披露してくださいます。
春の予感のする徳川庭園に、篠笛が響き渡ります。
これにはしびれました。
生まれて初めてのご接待でした。
当然観光客もびっくりまんぐりでんがな・・
この先生、どんどんアップデートされてます。(爆)
もうすごいです。。
心底満足するなんて、ソートー久しぶりでした。
いやはや、持つべきは素晴らしき友でんなぁ。
ありがとうございました、 先生。。
しかし、忘れてはならないのは、先生は能天気にこの4年間を過ごしてきたわけではなく、帰郷の直後から身に降りかかる介護と、無職の現実に向き合い、いまだに松山からの荷さえほどけていないという現実。
それほどまでの環境の中から、自らを失わないようにするための道具と手段であるのだと理解するのに、そう時間はかかりませんでした。
前述の昔の友人もそうであったように、先生も同じく自らの難問苦悶を抱えながらも、一生懸命生きていたのでありました。
今回の恩師のお祝いの旅は、ただそれだけで終わることなく、とても大切な何かを、この時期に示してくれた旅であったと思います。
誰もみな、 一流の課題とともに生きています。
その人しか解決できない課題とともに。
しかし、恩師のように、あたかも軽やかに駆け抜けてきたかのような顔をして、米寿を迎えることも可能であるのだとも思います。
その人となりを学びながら、私も少しでも、また近づいてみようと思います。
また出会えた素晴らしき皆様に、 心より感謝 。