燃えるような日々の中、連日のように、もっと熱く感じる人々と出会う。
仕事のお客さんの中にも、果てしない苦労の末、騙され、搾取され続けても、あり得ないような仕打ちを受け続けても、自分たちの今があることに感謝を絶やさない高齢者のご夫婦がいる。
奥様は、ご主人が一所懸命に働いていただいたお給料の明細書を、定年までのすべてを大切にしまわれている。
お父さんが頑張ってくれたおかげで生きてこられたということに対する感謝だという。
民生委員をされていた時も、毎日お年寄りを訪問し、状況や状態の日記を書かれていた。
自分のことだけでも大変なはずなのに、人をほっておけないのだという。
悲しい思いをしてきたからこそ、人の悲しみが分かるのであろう。
そういう考え方に触れ、何はなくとも「幸せ」と感じられる「心」があることに感銘を受ける。
方や、必要以上のモノがあり、世話を焼いてくれる人がおり、生活できるお金があっても、愚痴、文句、批判を絶やさない人もいる。
私の中に、まだどちらが魅力的な生き方かを判断できる魂があることに感謝する。
また、シェアカフェ「晴れときどき・・・」の空き枠予定日に興味を持ってくれた、高齢の女性経営者のお話にも興味をそそられた。
立派に創業した会社を育て上げ、新たなビジョン実現のために息子に事業をゆずり、またチャレンジャーとなり、そしてそれを実現する。
その後、夫の介護のためにそれも手放すが、道筋を立てた後、再び介護を優先しながらできるチャレンジを探し始める。
目的は一つ。
障害を持っている人や、ひきこもりの人たちの中にも、高い能力を持った人がたくさんいる。
その人たちと共に、社会とかかわりやすい環境を作ってみたい。
飲食店という体験を通して、地域にある様々な資源とともに、結びつき、循環し、成長したい。
そんな理念を、創業した会社でも、次の場所でも実現し、そして今、今の介護の環境下でもできる「カタチ」で実現しようとしている。
そう、 貫いているのは「理念」であり、変化しているのは「カタチ」である。
こういう人は強い。
変化することに恐れがない。
変化は当たり前だとさえ思っているに違いない。
だから70歳を過ぎても、チャレンジャーでいられるのだと思う。
私が持ち続けている理念もお話することができました。
なぜやるのか?
誰のためにやるのか?
そしてそのための約束事やルール。
さすがに長年経営者として生きてこられた方らしく、しかも正しく生きてこられた方らしく、様々な要素を吸収して帰られたように思います。
シェアカフェのメンバーになられるかどうかは別としても、とても面白い方にお会いできたことを感謝いたします。
また同じく、新たなシェアカフェメンバーとして若者二人が訪れ、私を質問攻めにしてくれました。
実に大切な質問内容の数々で、彼らの姿勢がとても真摯であることを裏付けています。
人を元気にできる場所であり、存在を目指す彼らにも、同じにおいを感じました。
こんな風に、連日素敵な方々との出会いがあります。
シェアカフェを創る時に、明確な理念を持ち、そして伝え続ければ、時間はかかれども、必ずそういう「志」を持った人々が集まってくる、そういう風に変化していくという確信がありました。
が、
今回のシェアカフェという仕掛けの中で、私が私に課した課題として、私が仕切るのではなく、あくまでもシェアカフェの借主たちが、自らのこととして、主体的に、能動的に募集活動も、話し合いも進めていくというルールを創ったことです。
そこに至るまでに、シェアカフェは無くなってしまうかも知れない、というリスクや可能性も含んだ上でのシステムというわけです。
私が力任せに維持することはできますが、それでは意味がないと考え、心身のエネルギーは使いつつも、静観しているというわけなのです。
さて、どうなりますやら。
先の6月危機は脱したようですが、10月危機が生まれますし、その後は11月危機もあります。
しかし、もしもこれらの危機を、単なる条件重視ではなく、理念重視で乗り越えた時には、
想像を超える喜びに満ち溢れた体験ができうることだけは、私が保証します。
なかなかに、この世でお目にかかれない世界を垣間見れることになるでしょう。
10名のオーナーから構成されるシェアカフェの毎日が、統一された理念で満たされ続け、そこに集う人々からも、同じにおいが漂い始める。
そのことで、どんな世界が創りだされるのか。
ぜひ、 体験していただきたいものだと願いつつ、
邪魔にならない程度に、お手伝いさせていただけることに、
ささやかな幸せを感じております。
エッ 、 じ 、 邪魔ですか??
メンゴ 。