10年ほど前、道後中学校PTA後援会長を務めさせていただいていた数年間、共に過ごした役員の方々とのお付き合いが今でも続いている。
忘れた頃に連絡が入るシステムで、おまけに会場は決まって外。 そう、本当に外なのです。
道後公園のどこかの木の下か、芝生の上。 一番多かったのは松山城の上の公園の地べた。
そこにゴザならぬシート持参で、自分の飲みモノ、食いモノも持参で集まるわけです。
年に数回、こんな感じでやってきたのですが、この外の習慣になったのは、当時道中PTA会長を務めた石手寺住職の加藤氏の趣味(わがまま)からである。
ホントに外が好きな人で、我々は暑い時も、寒い時も散々な思いをしながら、それでも面白おかしく過ごさせていただいてきたわけで。
何せ顔もよく見えない環境なので、言いたい放題である。
酔いがまわるにつけ、とても紳士淑女とは程遠い、昼間のそれとは別人28号である。
しかし、やはりこの本音が言いあえる関係というものは強い絆を創りだすのかも知れません。
悲しいことが誰かにあっても、青春時代の親友のように話を聞き、静かに寄り添い、なぐさめの言葉を飾ることなく言えるのです。
この日もメンバーの一人の母君様が突然の事故で亡くなってしまい、ずっとふさぎこんでいたところへのお誘いだったようで、そのことを知ってるメンバーも、まだ来れないかもしれないなあ、と思いながらの当日だったようです。
少し遅れてやってきたそのメンバーは、みんなの分の食事をこれでもかと言わんばかりに、折に入れて持ってきていました。 普段からそのような人柄ではあるのですが、こんな時でもさすがだと思いながら、たっぷりごちそうになったのでした。
その彼女が近況の話を進めていくうち、様々な思いが堰を切ったように現れ、嗚咽しながらも抱えていたものを少しずつ下ろしていっているように感じるのでありました。
他の仲間も10年前の環境とは様変わりで、各家庭における両親の介護の問題に遭遇しています。
一緒に年をとるということは、同世代とよく似た環境を共に生きていくことでもあり、よく似た人が近くにいてくれるだけで、本当は少し嬉しかったり、慰められたりすることでもあり、有り難いなあと素直に思えるのでした。
個性派ぞろいの凸凹集会ですが、 夜の公園で大声で喧々諤々やってる迷惑な野郎たちですが、 同時に大切な友人だなあと、しみじみ感じられるこの日の集会でありました。
私がボケてもからかいに来てくれそうですし、 私が死んでもそれを肴に酒を飲んでくれそうな感じです。
ありがたきかな、 同世代の友。
一つだけ気が重いこと。
この集会、 看板がないもので、 閉店時間がございません。
この日も結局お外で午前1時半過ぎまでやっちゃったわけで・・
翌日のあいキャンミーティングのしんどいこと、しんどいこと。