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問いかけ
2019年6月7日 | 雑記

「大人」が手をさしのべる? ちょっと待ってくれ。大人とは誰だ。   中島らも

 

人というのは、迷い、くじけ、おろおろしたあげく、「生きるというその路上において、たった一人でぽつんと立ちつくしている子ども」のようなものだと、作家は言う。

だから「大人」なんて存在しない。

「大人」とは、その「迷い子」が、何をまちがえたか、「愚鈍と忘却と教条」でみずからを弄んだ末のその「なれの果て」でしかないと。

 

 

 

この言葉と出会ったとき、素直に共感できた。

 

私も常々、自分がどうして世間でいう「大人」になれないのだろうと、悶々としてきた。

心に素直に生きていると、どうやっても「子ども」の自分が顔を出し、「大人」になろうとする自分の邪魔をする。

そんなことを繰り返すうちに、かつては立派な子どもであった自分が、それらをすべて捨てて、あたかも別な存在のような「大人」になろうとしても、無理であることに気がつく。

 

子どもである自分を育ててこそ、

すなわち、子どもである何物も失わずに、

いや尊重し、

その上に付加していくものが「大人」の一部かもしれないと。

 

 

そう考えると、常に自分は「子ども」であることを受け入れ認めることができ、

だからこそのその未熟さを、成長させたいと謙虚にもなれる。

 

 

ところが、自らは「大人」であると豪語する方々は、

すでに自分で、「成長」「発達」を放棄したと、のたまっているように聞こえてならない。

 

 

昨今、立派な「大人」であるはずの方々が、

罪のない人々を、凶器と化した乗り物などで傷つけている。

 

自分は今だ未熟な「子ども」であるとの、謙虚な「自覚」があったならば、

もう少し違った未来を作り出せたのかもしれないと思う。

 

どこかで自分は「大丈夫」、まだ間違いのない「大人」だから、と思い込んではなかったのか?

 

 

 

あくまでも、

「自戒」を込めてもう一度自らにも問いなおす。

 

私は無理に「大人」のふりをしようとしていないか?

 

ただただ今だ、子どもであることを、忘れようとはしていないか?

 

迷い子のなれの果ての自覚はあるか?

 

 

大人と称する人々こそ、

自らに問いかける時が来ている。

 

 

 

 

 

 

 

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