笹ヶ峰山頂には、昨夜丸山荘で共に過ごした東京からの方もおり、しばらくお話した後展望を楽しみます。
まことにすばらしい風景が、360度に広がり続けます。 瀬戸内海を見下ろし、 西条の町を見、 赤石山系の山並みから高知の山々へと。
嬉しいというよりも、なぜかありがたい。 ありがたくてありがたくて、しょうがない。 達成感などというちっぽけなものではなく、何とも言えないあらゆるものへの感謝。 それだけでした。
(左の峰が寒風山、その奥のギザギザが伊予富士、その峰伝いを右へ歩き続けて東黒森・ジネンゴノ頭・西黒森・目的地、瓶が森へとつづく)
今日、これから歩く道筋がはっきりと見渡せます。
まさにはるかかなたに目的地の瓶が森らしきものが見えます。 この距離感は目で見るとやる気を失う距離のようにも見えるのですが、往路で見えないことの大変さを体験させていただいている私には、このはっきり見える目標はとても魅力的なものでした。 明確にやる気が出ます。
よし、 行くぞ。 です。
笹ヶ峰から鬼の寒風山へ、 またあの崖みたいなところを・・ と少し考えてしまいますが、 この快晴という条件が想像以上に気持ちを明るくしてくれます。 ジンノさんが言うところの、明るく楽しい気持ちでこそ不安や痛みは消えるという言葉をまた思い出し、そのままの気持ちで一日楽しもうと思いなおします。
するとどうでしょう。 あれほど苦労を強いられた障害物の登山道が、 あの崖が、 あの熊笹の罠が、 どれも懐かしく感じるのです。
2日前に受けたはずの少々重たいはずの気持ちはそこには現れず、 ただ懐かしいのです。
いとおしいと言っても過言ではありません。
どうしたんだろう、 オレ。
って感じで確実な一歩一歩を楽しみながら、喜びながら進みます。
そうしながら笹ヶ峰より1時間以上歩いたでしょうか?
すると突然のようにある心象風景が現れてきました。
それはこんな感じでした・・・
往路の霧雨強風低温の世界は、前も見えず、 回りも見えず、 足元をすくわれ、 罠に怯え、 痛みに耐え、 寒さに震えながらの旅でした。
それはなんと私自身の少年期、青年期ではなかったのか?
自分の将来に何の確信も持てず、 ビジョンもなく、 ただ不安に怯えながら、 ただ恐怖と寂しさに無意味な抵抗を続けながら、 痛みだけを友とし、 すべての者に刃向かい、 そしてまた震え続ける日々。
それでも惰性と言われようが、 無意味と思い込もうが、 生きてきた。
いつの間にか生きてきた。
それがどうだ、 今この時、 52歳の人生折り返してきた男が感じること。
あれほど苦しんだはずの半生の道程が、 懐かしい。
そして、 いとおしい。
あの時ひとりもがいていた自分を抱きしめたい、 あの時立ちはだかったすべてのものに感謝したい。
私は孤独ではなく、 ひとりでもなく、 不安でもなく、 恐れることもなかった。
すべて思い込んできた幻想。
私はあらゆるものに見守られながら、 育てて頂いてきた。
私は生きてきたのではなく、 生かされてきた・・・
そんな心象風景が、今歩いているこの往く道、帰る道と重なり合い、反応しあい、一つに溶け込んでいくような感覚に、一瞬うろたえていました。
しかし私は次の瞬間、 自分自身の過去に対して、自分に対して 『ありがとう』 と言えたのです。
何度も言えたのです。
そして、 嗚咽が続きました。
一人歩く熊笹の細い道の上で、 私は生まれて初めてキチンと自分を許すことができたような気がしました。
自分自身に感謝しました。
よく生きてきてくれました。
あらゆるもののおかげ様ではあるけれど、 何より生きてくれたことに感謝します。
そう言いながら、 止まらぬ嗚咽と共に歩いていきます・・・
何が起こったという訳ではありませんが、 これから起こることに対しては、今までよりも受容と寛容で臨むことができるかも ・・・
・・・ スンマセン、 うそピョンですっ。 やっぱ無理っす。 訂正します。。
しかし、 なぜこの旅に私が導かれたのか、 それは何となく感じた瞬間でもありました。
導いて下さいました数々の存在者様たち、ありがとうございました。
いずれにせよ、誠に恥ずかしいことを記すようですが、 今を生きる若者にとって、何がしかの標になればと思い、遺します。
(あつかましくつづく)