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在りたい心
2017年6月23日 | 雑記

『音楽が音楽であるのは、それを音楽と受け取る耳があるからだ。』

相倉久人

 

鷲田清一氏は解説する。

“「聞く耳さえあれば、波の音や街の雑踏も立派に音楽として成立する」と、相倉氏は言う。

音楽は、奏でる人、聞こえる音と、それに耳を傾ける人の共同作業としてある。

このことは、深い悲しみの中に沈む人の語りについても言える。

言葉は、聴く人の、祈るようにして待つ耳があってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちる。”

 

 

 

まさに言葉が真理として振動している。

この周波数に同調できているだろうか?

ただ音が聞こえているのと、その中に仕舞われた「声」が聞こえるのとでは次元が違う。

 

虫には虫の「声」があり、雑踏には雑踏の「声」がある。

波に「声」が在るように、

感情を持った「人」であれば、在るだけで「声」がある。

 

その声が聞こえるのか、聴こうとするのか、

受け取る側の「主体」によって天と地ほど違う世界が共存する。

 

この世の仕掛けと仕組みに、

今日の私はどう反応するのか?

 

宇宙と世界は等しく動いているが、

私の心はどう在ったのか?

 

変化続ける心であるがゆえに、

「意思」をもって今日も在りたい。

 

 

 

 

 

 

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