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在り方
2019年8月29日 | 雑記

先日ふらりと、久しぶりに会う友人が事務所に立ち寄ってくれた。

中々にセンスよい感性を持ち、様々な仕掛けを世の中に問い続けてきた人物でもある。

そういえばかれこれお会いしてなかったなぁ、などと思っていたら、

「実は末期のガンになっちゃってねー」ときたもんだ。

 

「えぇっ!」ってなもんです。

 

 

それでも彼のムードは、とてもそんな痛々しいものではなく、今まで通りのふくよかな感性に包まれた穏やかさを感じるものでした。

そのアンバランスに戸惑いながらも、これまでたどってきた1年間のお話をつぶさに聞くことができた。

 

その様々な「選択」が、とても彼らしく、その環境下に置かれても、いまだ「自分」を見失わず、むしろ飄々とその現実を受け入れている姿に感動すら覚えた。

 

最先端の治療や、有名な医師に頼るのではなく、とてもやさしさを感じられる担当医とともに、相談して決めたことを実践していこう。

余命を告げられたおかげで、どういう場所で、どう過ごしたいのかを決めることもできた。

 

「夕日がきれいな病室でねー、こういう場所に居たいんよねー」

 

治療のために病院を訪れる以外は、事務所で仕事をしているが、仕事の引継ぎや、後始末の準備も進めているとのこと。

 

受け入れるものは素直に受け入れ、

できることを残された時間の中で淡々と行っていく。

 

 

 

彼との久しぶりに長い会話が終わり、「またね」と別れた後、

正岡子規の「病床六尺」を思い出した。

 

 

子規か罹った脊椎カリエスという病気は結核が脊椎を侵す言わば結核の最終段階。

体の奥にある病巣が化膿し、大量の膿が出口を求めて肉を破り、皮を破って体に穴をあける。 晩年の子規も、腰や背中に大きな、がらんどうの様な穴がいくつも開いていたそうです。

そこからあふれ出る膿を母親のやえと妹りつが拭いてやるのですが、傷口にこびり付いたガーゼを剥がそうとすると、激痛が走る。そのたびに子規は大声を立てて泣く、泣けばいくらか痛みに耐えられる。

子規はこうした地獄のような苦しみに耐えかねて、実は一度、自殺を企てたことがある。 亡くなる前の秋、母も妹も留守の時、枕元には原稿を綴じるための小刀など千枚通しが置いてある・・・

 

こういう状況で死までの4か月間、のたうち回りながらも、それを笑い飛ばすような句まで作った人物が語ったこと。

それが、

 

「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。

悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、

悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。」

 

 

 

どんなことがあっても、平気で生きる。

 

 

私のようなものに、これ以上何も語ることはできませんが、

この日の彼との話を思い出しながら、

子規のこの言葉に重なるものがあったことは事実です。

 

 

スゴイ男がここにもいたもんだ。

 

 

わたしなら、

どう在れる?

 

 

 

 

 

 

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