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天使のSOS ②
2017年12月8日 | 雑記

公的機関や専門機関がほとんどないといってもいいほどの、この長期欠席の子供たちを救うための場所。

(つばさ教室では不登校という言葉は使わず愛情を持って長期欠席として表現する)

 

 

30年前に自らのこととしてこの世界に飛びこんだ理事長の大野まつみ氏。

その活動の目的は何もぶれず、やり続けています。

1. 長期欠席になってしまった子供たちの父母に、子供の本当の気持ちを知ってもらう。

2. 学校の先生方もそうなってしまった責任は自分にあるのでは?という責任探しをするのではなく、不登校のメカニズムを知り、つばさ教室と父母との三者連携を構築する。

3. 地域の方々やその家族の理解を進める。

 

副理事長の希先生のお話の大筋をまとめてみますと、

長期欠席は「学校嫌い」ではなく、「楽しく学校に通いたい」のがみんなの願いであること。

そうなってしまって一番ショックを受けているのは子供自身であること。

長期欠席に陥る5段階として、

 

第1期(潜伏期)

発達が早すぎたり、優しすぎたりすることで人と違っている自分を発見してしまい、自覚はまだないにしろ、なんとなく病気になったら学校が休めるかな?などと考えてしまう。

 

第2期(歩行期)

学校に行きたくないという本人の自覚が始まる時期だが、それは恥ずかしいこと、ダメなことと考えてしまうので誰に も相談できない状態が続く。 体の調子が悪くなる時期でもあり、保健室等にいることが増えたりする。

 

第3期(進行期)

学校に行きたくないという気持ちとの戦いで、身体症状が出始める時期でもあるが、病気ではないので症状の出方は不定期であるし、薬も効かない。 周りの人たちはこの時点で初めて長期欠席の初期症状だと思い始めるが、ここまでの隠れたプロセスを理解し得ていない。(誤解が生じる原因)・・甘えているんだ 等

 

第4期(放出期)

苦しみのあまり自死を考えるようになる時期でもある。 慢性疲労状態が続くがそれでもなんとか学校に行こうと考える中で、過労死寸前の状態となる。 このあたりで初めて学校に行きたくないと口にする場合が多いが、すでに命の危機が迫っている状態でもある。 無期限で安心して休ませてあげることが絶対的に必要。

 

第5期(内向期)

対人恐怖や人間不信が高まる時期であり、誰もわかってくれないという気持ちから自分自身の内側へと向かい続ける。 周りには全くつかめない状態となる。

 

 

そうならない手前での策はあるのか?

早期発見・・自覚する前にSOSのサインをキャッチする・・本来楽しいはずの家で過ごす時間に元気がなく、休みの日でも寝ていたりする。 本人はすでに劣等感にさいなまれているので誰にも話そうとはしない。

潜伏期~歩行期の段階で発見できたら家庭でのケアをしてほしい・・親のほうから学校を休ませてやり、できるだけ一緒にゆったりと過ごすことが有効。

人と違う自分を感じ、周りに合わせようとして疲れる・・人と違っていていいんだよと教えてあげることが肝心。

 

あくまでも詳しい事情は追及せず「今日はお休みしよう」と大人が欠席を認めてあげること。

子供を一人にしないで、一緒に楽しい時間を過ごす。 子供の心がリラックスできてから、休みたい気持ちや悩みをゆっくり聞く。 その場合に決して責めないようにする。 まだ具体的な悩みは生まれてない場合もある故。

子どもの悩みがとても深刻であることを受け止め、解決方法を考える。 解決法は誰かを悪者にしたり責めたりする方法でなく、子供の気持ちが楽になるように導く。

 

その結果として、子供が「相談したら楽になった」と実感できることが大切。

まじめすぎる子供に「休息の大切さ」を教える・・とかく結果ばかり評価される社会に疲れている。

 

 

過敏性腸炎・起立性調節障害・頭痛・不眠・〇〇神経症・うつなどとみなされていても、これは病気ではなく、「学校に行けない」苦しみのために現れた症状であり、薬の服用では治らないばかりか、副作用により本当に病気になる可能性が高い。

実のところ口には出さないが、毎日学校のことを考え、友人のことを考え、そして彼らと「差」がついていることに絶望している子供には、「学校に行かなければいけない」という強迫観念からの解放が唯一の治療法である。

学校が終わっている夕方や夜の時間は心が少し楽になる。みんな家にいるから。 そしてその時間帯にゲームをしたり漫画を読んだりするが、一見周りからみてのんきに見えるそんな時間があるからこそ子供は生きている。このストレスは大人であれば寝込むほどのものであるようである。

 

 

長期欠席状態の子供の心理として、

毎日学校のことばかり考えている。

学校の建物、先生、同年代の制服姿を見るだけでも苦しい。

級友たちはみんな先へ進み、どんどん自分との差が開いていく。

学校に行けない自分は存在価値のない人間。

こんな自分は家族からも愛されない。

死にたいほど悩んでいても遊べる、笑えるのが「子供の防衛本能の特徴」

 

 

家庭・学校からの理解が休息のスタート

学校に行けない理由を安易に聞かない。

命を守るための一時的な「学校の絶食」・・勉強はしない・先生、友人に触れない・学校の話はしない

信頼できる専門機関を探しておく。(本人が受け入れられる状態になってから紹介する)

 

無理をするとケガは重症化する。

走らずにまずケガを治そう・・学校を遠ざけること・学校のことを考えるからこそ死にたくなる。学校のないことが普通になることを、本人が本気でそう思えること。

 

大人が子供のすべての希望をかなえてやろうとすることは逆の結果を招く。 それは心の治療にはならないことを知るべき。

 

 

子どもの心の傷をいやすため休息を守る家庭と、子供の休息の必要性を認め、子供と保護者を支える学校と、家庭と学校との信頼関係をつなげる専門機関という協力体制が必要

 

 

国による「教育機会確保法」の成立により、休息の必要性、学校以外の場所でも学ぶ重要性、行政と民間団体との連携の必要性が認められつつある。

愛媛県では学校教育に準ずる内容と認められれば、専門機関への出席も学校への出席扱いになる。

専門機関の指導内容の質を高めていくことが重要であり、ただの「居場所」では長期欠席を解決できない。

 

 

学校に行かないという結果のみで判断されがちな風潮があるが、子供の特徴も理解したい。

特別に優れた才能と、極端に苦手な部分を併せ持つ子供が増えている。 超個性派と呼ばれる。

つばさ教室独自の発達検査でも、恐ろしく高いIQを示す部分があると同時に、著しく低い部分も併せ持つなど、従来型では説明しにくいタイプが目立ってきている。 これは本人にとっても理由の分からないままの苦しみとなる場合もあると同時に、保育園などでも個性差がありすぎて現場そのものが混乱状態のところもある。

一つの脳内で天才と障害が同居している状態と言える。 (IQグラフにて説明)

このことにおいても、「どうしてできないの」ではなく、「超個性で苦しんできたかもしれない」と考えてみる。

「生まれつきだから変わらない」と見守るだけでなく、子供の特性に合わせた専門的指導が必要。

苦手な部分を成長・克服していくためにも、全体学習でない個人学習に寄り添うことが必要。

自分の個性をよく知り、自分との付き合い方がわかれば、現実社会で立派に羽ばたける。

 

 

長期欠席する子供たちの特徴として、まじめで感受性が鋭く、個性的である。

個性豊かな子供には、大人数・多数派向けの一斉授業で、全力で結果を出すことを求める教育方法は合わない。

一人一人の違いを認め、のびのびと個性が輝く教育が必要とされている。

 

また忙しすぎる先生たちの苦悩として、過労死目安を超えた時間外労働の現実と、一人ひとり違う指導が必要な子供の増加への対応があげられる。

教育予算の減少と、競争・成績至上主義の方針が先生と生徒を追い詰めている。

 

心のケアを受け元気になった子供が願うのは、学校や社会へ帰ることゆえ、社会整備の必要性も重要となる。

 

 

長期欠席を克服した子供たちはつばさ教室だけでも500人ほどとなる。

ここを卒業するということは、学校や社会への復帰ということ。

苦しみを乗り越えた経験と、人間を信じ差別しない心が温かい社会を作る。

自分の個性と社会との付き合い方を、ここで得た「自信」と「信頼」によりこれからも乗り越えていってほしい。

 

 

と、

おおむねこのような内容でありました。 (端折ってますが・・)

 

ゆったりとした口調で語られる内容は、じっくりと体内にしみ込んでくる力を有し、時間の経過を忘れて聞き入るものでありました。

 

誰かのご参考になるかもしれないと思い、私自身の整理も含めて記してみました。

 

しかし本当に素晴らしい内容のある勉強会でした。

このレベルのお話が聞けるだけでとても幸せです。

下手な大学や研究機関より現場に即し、愛情をもって接し続けたからこそ見えてきた「世界」を客観的に見せてくれます。

素晴らしい時間でした。

 

 

 

 

思うに、

これは今の子供たちのことを語ってくれていますが、

私には私自身に語り掛けてくれているようにも思えてくるのです。

私の中にある「子ども」の部分に、いまさらながら「あの時はつらかったねぇ」と声をかけてやることで、実のところ「今の自分」が救われるような感覚さえあるように思えます。

大人にしろ、十分傷つきながら生きてきたわけですからねぇ。

先生のお話は大人も救ってくれそうです。

 

 

人間とはいまだ持って不思議な存在であることに変わりはなく、

これからも神秘の存在であるのかもしれませんが、

ゆえに、だからこそ、

見えない世界の部分をいたわりつつ、慰め合いつつ、あり続ける存在なのかもしれませんねぇ。

 

つばさ教室の奇跡に触れながら、

そんな思いを持てたことに、感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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