世界が一つになる。
本来であればウキウキするような言葉の響きであるはずだが、
今回はそういうわけにはいかない。
命に係わることだということが、少しずつ理解されてきているようであるが、
次には生活がどうなるかという不安が、より一層現実味を帯びて来る。
すでに国内でも45件の倒産が確認されている。
私の周りでも、3月は何とかなっても4月は危ない、という声も聞く。
実際問題、余力のある企業自体がそうあるわけでもなく、ギリギリの選択の中、生き抜いてきたという企業やお店が大半であろうと思う。
いつかは必ず終息するとわかっていても、それまでの1か月なのか、3か月なのか、1年なのかで状況は一変する。
自分の仕事に置き換えても、不動産を仲介する立場として、お客様の勤め先の企業がどうなるかわからない状況下で、35年の住宅ローンを心からおすすめする立場にはありません。
今回の問題に関係なく伸ばしている方ならいいのですが、それ以外の方には厳しい「想定」もお話させていただくしかありません。
それが自分の首を絞めることになっても、そう言わざるを得ないのです。
それどころか、自分事は置いといてでも、助けなければならないことさえ発生してきます。
今まで、世界も、国も、企業も、個人も、後回しにしてきたものが、洗いざらい白日の下に晒さらされようとしています。
無理やり大量に商品を作り、
無理やり売り掛け、
無理やり消費し、
無理やり回してきたお金が、
回らなくなろうとしています。
新しい世が来るためには、
どうしてもこの体験が必要なのでしょうか?
本当なら別のカタチもあったと思えるのに、
どうしても人間はわかろうとしなかったのでしょうか?
すでに起こってしまったことですから、後悔はなしです。
今どうするか、
これからどう創っていくか、
そのことを考えています。
そのヒントとなることを吸収しています。
命を守り、
命があったなら、
命を維持するために仕事が必要です。
お金が必要です。
いえ、
本当のところは、
食べるものが必要です。
行きつくところ、
私たちは、生きるために食べていた。
ひょっとして、食べるために生きていたということです。
シンプルに考えれば、それだけしかありませんでした。
シンプルに思い出し、
シンプルな世界を作り直す時なのでしょう。
できるかどうか、
それぞれのチャレンジが始まりそうです。