約50年、会社経営を続けてきた親父が入院した。
肺炎らしきものにて熱があり、なかなか動くこともままならなくなったことで、母親が見かねて救急車を呼んだようだ。
この2週間ばかりの生活の中で、様々な検査なりを行なってきたようで、その報告があるから家族を集めてと、医者に言われたようで、このたび行ってきた。
すでに86歳になる親父の体は、それまでのヘビーなスモーカー習慣も重なり、かれこれ悲惨な状態であったが、それでも酸素ボンベを転がしながら、会社に出ていた。
20歳の時に結核で死にかけ、家族の並々ならぬ介抱のおかげもあり、3年間の闘病で死の淵から生還して以来、生きていることだけで有難いことだが、生きている以上、働いて働いていくことが生に報いることであり、証明であるといわんばかりに働いてきた。
それは同時に、私たち子どもにとっては、ほとんどほったらかし状態であり、いい思い出はほとんどないといってもいいくらいであるのだが、それほど仕事ができることを楽しんでいたのも事実である。
しかし、それはそれ、年には勝てない。
いつかは・・誰もが・・ である。
そこで様々な準備も必要になってくると思うのだが、本人からは一向にそんなことを聞いたこともなく、母親が聞いてもお茶を濁すのみであった。
それは同時にまだ復帰して、働くのだということの裏返しでもあろうかと思うのだが、最終的に残されるものの立場から言わせてもらえば、人の会社を残されても、一体どうしてほしいのかが分からなければかなり迷惑なことでもある。
「好きにせい」と言われることくらい悩ましいことはない。
いよいよどうなるか分からなくなってきたからこそ、心配して聞いているわけで、それほど大事にしてきた会社を、今後どうしてほしいのかくらいは伝えておくのが経営者の仕事でもあろうと思うのだが・・
ひとまず家族全員集まったところで、確認したのは、親父が死ぬまで社長であり、役員も母親であり、来年度以降、妹を社員として迎え、随時業務を移行していくことと、管理物件はうちの会社で面倒を見ていくことの確認はできた。
それにしても・・ その仕事に対する執着というか、情熱というか、執念はすさまじいものがある。
それだけの成果を作り続けた人生は、称賛に値することは間違い無い。
と、ここまで書くと、もうすぐにでも逝ってしまう状態であるかのように聞こえてしまうと思いますが、
家族を集めてくれと言われた医者から受けた説明では、肺炎を抑えることは問題ないが、それ以外にも何かがありそうだということであり、時間をかけてその正体を特定していきたいということであった。
急変することがあっても、薬で抑えられることは分かっているので、その時はそれを使うが、そうならない間に調べを進めます、ということでした。
夜中にトイレに行く時も、ナースコールを使わずに自分でヨタヨタと行ってしまうらしく、あくまでも自分でという気概なのかどうかは別として、ナースからは万が一の折は困るからと、かれこれ説教をくらっていたが、いざ「お返事は?」と聞かれると、何度もアホのふりしてごまかしているところを見ると、こりゃまだ当分こんな感じじゃない? と思うのである。
私自身は、私の子どもに対して、そろそろ自分の後始末をどうしようかなあと思い始めていて、迷惑をかけないようにするにはどうした方がいいのかなあ、と少しは考えているという時に、方や86歳のご老人は、まだ病床から復帰して、やり残した仕事をやるぞと意気込んでいる。
人の生き方、考え方は様々であるが、かの松下幸之助氏も94歳まで当たり前のように仕事をしていたように、この世代の人の中には、こういうタイプがいることは事実である。
「生き切る」 ということがあるとすれば、こういうことに近いのかなあと思わせてくれます。
はてさて、私はといえば、
根性ないです。
小粒ちゃんらしく生きていきまーす。