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弱さの強さ
2015年1月9日 | 雑記

朝日新聞編集委員の大西若人氏の記事の中から・・

 

・・近年、美術界で注目を集める一つが、障害を持つ人たちによる表現。 昨年は各地で展覧会が続いた。 「アウトサイダーアート」と呼ばれることもある。 そこにはやはり「美術界の外の人」という響きがある。

大阪市平野区で社会福祉法人が運営するスタジオ「アトリエインカーブ」では20人ほどの知的障害者らが絵画などを制作している。

「ここの人たちは、精神的にも肉体的にも、経済的にも弱さを抱えている」と、主宰者で自らも身体に障害がある一級建築士の今中博之さん。 彼らをアーティストと認め、価値を評価された作品を販売している。

弱い存在なのに、強さも感じる。

「その強さとは、他者からの影響を受けにくいところ。 社会の情勢や動向、評価者の声にぶれない強さを持っている」。 鉄骨のある風景を描き続ける人、 ボクシングの光景を書き続ける人。 2㍍四方の絵画が400万円で売れる人もいるという。

「彼らにも情報は入ってくるが、長期的に考えることが苦手で、その分、今日、明日をがんばれる」

 

マスメディア、口コミ、そして何よりネット。 いま、我々はあふれる情報の海にいる。 その影響を受けないでいるのは、かなり難しい。

思想家の東浩紀さんは著書「弱いつながり」で、ネット上では、自由に検索しているつもりでも「他者の規定した世界でしかものを考えられない」と指摘。 だから、偶発的な出会いといった「弱い絆」でノイズを入れることで、ネットの強さが活かせる、と説く。

さまざまな場面で、情報の欠落や弱さがあるから、逆に伝達能力が増し、周囲に惑わされない。 つながりが弱いことが、強さにつながる。

「弱さのちから」を書いた、哲学者の鷲田清一さんは、「病弱な人が気圧や湿度の変化に敏感なように、弱さは社会が危うい方向に行っているときにも感度が高い。 これからの縮小社会には大切な存在」と話す。

また、弱さを抱えた人と接することで、周囲の人間も力を得るという。

さらに、「強さとは、お金や権力で意のままにできるということ。 でも、火や草木といった意のままにならない存在から、上質な陶芸や染織が生まれることもある」と話す。

 

世界が見放した青色LEDの窒化ガリウムからノーベル賞が生まれたが、資源も予算も限られる、いわば弱い環境だからこそ、小型化で勝負してきたのが、戦後日本の科学技術の特性の一つだといえる。

「ただし弱々しい枝は、一方ではしなって折れにくい。 二面性がある」

逆に言えば、LEDも使い過ぎると、全体の消費電力が増えてしまうこともあるかもしれないと指摘する。

「弱さは強さにもなりうるし、強さは弱さにもなる」

そこをどう見極め、「大丈夫」と言えるようになるのか。

巨大資本うごめくグローバル経済が拡大し、威勢のいい言葉や強さに注目が集まる中、でも、だからこそ、社会や文化事象の、弱さやもろさ、取るに足らないものの意味を訪ねる。

 

 

いにしえの格言や賢者たちは、さまざまな形で「弱さ」に言及している。

新約聖書・「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」

島崎藤村・「弱いのが決して恥ではない。その弱さに徹しえないのが恥だ」

老  子・「人の生まるるや柔弱なり。其の死するや堅強なり」 (堅く強いものは死の仲間、柔らかく弱いものは生の仲間で、だから武力が強いと勝てない)

村上春樹・「高くそびえる壁と、壁にぶつかると壊れてしまう卵があるとすると、私はいつでも卵の側に立つ」

夏目漱石・「強い返事をしようと思うときは黙っているに限る」

パスカル・「人間はひとくきの葦(あし)にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である」

鷲田清一・「人間の弱さは、それを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいて、ずっとよく現れている」

 

 

 

私は、

わたしたちは、

強くて弱いのでしょうか?

弱くて強いのでしょうか?

それとも・・・

 

 

 

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