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思索の旅 四
2011年9月27日 | 雑記

ではお待ちかね登美さんのお話のはじまりでーす。

テーマは 「足元の宝を生かして 暮らしをデザインする」

 

“登美さんがご主人と共にこの大森に移り住んだのは約30年前、大森地区はご主人の里ではあるが自分にとっては知る由もない場所、ひと、もの。

当時の大森の人口は411人、小学生の数は12人。 さびれゆく集落の典型であった。 築100年を超える家々は手入れの予定もなく、朽ち果てるのをただ待っているしかない。 産業もなく、手放すか放置したままこの地を出ていく人々。

何ができるのかなんて想像さえできない現実から始まった。

ただ、母からの教えの中に「授かり」という言葉があった。 授かった土地、授かった人情・・  お金ではない価値の数々。 必要以上を望むのではなく、今あるもの、授かったものを大切に感謝をこめて使わせていただく。  あるのはこの言葉と考え方のみであった。

最初の仕事は荒れ果てた土地に一本のあぜ道を作ることから始めた。

あぜ道を作るとその途中の小川に丸太で橋を作った。

そうして、そうしながらどんどん作っていった。 その延長線上で会社を作った。(郡言堂)

まったく使い物にならないほど朽ち果てた古民家を改築しながら今日がある。 30年かけて7戸の古民家をそれぞれの形に再生してきた。  再生は単なるノスタルジアではなく、本来の姿にこだわった。 使えない柱があれば壊す古民家から材をいただき、接いで使えるようにした。 新規の売っているものを使わず、今すでにあるものを流用させてもらう。 母の教えの通りにやる。

これすなわち、ものを残すということは、その作業にあたる職人による伝統文化を守り、人材を残すことになる。 またこのことはすなわち環境を残すことにさえつながる。 現代は工業という錯覚の世界の上に生きている。

使われてきた登り窯で焼きものもする。 難しく失敗する。 しかしその失敗の繰り返しの中から工夫が生まれ、改善が形になり、そして何よりも感謝が生まれる。 失敗のない人生は失敗である。(笑)

「復古創新」 がテーマ

まだ職人が日本にはいる。 海外に持っていけば職人文化は壊れる。

まちづくりは引き算をしていった。 あれもこれもとデコレーションしていくのではなく、花も一輪活けるほうが難しいが、奥深い世界を作れる。

家と人との相関関係も、現代はとりあえずの家でとりあえずの暮らしをしているのが実態。 関係性が無いといってもいい。 ここでは自然の庭造りといってそのままの状態の庭造りを楽しんでいる。 テーブルの上に土箱を置き、そこに鳥が運んできたり、自然に根付いた植物を楽しむ。 たっぷりとした時間の中で小さな変化を少しずつ楽しめる。 いなかは非効率が命。

これからは根のあるものが生きる時代。 この根は人間にとっては「考え方」という根であり、「生き方」という根である。

仕事としてはデザインを通して世の中にメッセージを送りたい。

文明に頼りすぎた生活から起こる文明災に遭遇している。  上質な文明の選択をすべき。

「地域は舞台」という構想

毎日のように突然何かが始まる。 子どもたちの楽器演奏会など客は庭に出て、子どもは座敷のステージに立つ。 人は集まり、楽しみ、会話し、笑う。 子どもたちは緊張もするが、自分自身も地域の一員であると感じ、愛情を感じ、誇りを持ち、人を好きになる。

暮らしの再生が地域の再生となる。

他郷 ・・・ 自分の故郷ではないのにあたかも帰ってきたかのような感覚の家

お客様にそう言っていただけることが嬉しい。

ここまでこれたのは志に尽きる。

「志を持てば食は付いてくる、 志持たずば道を失う」

ものは保存よりも活用に尽きる。 家といっても多様な使い方ができる。 結婚式から葬式、もちつきにコンサート、宿泊施設にも居酒屋にも・・・      娘の結婚式をこの家で行えた。 一つの夢であったのでうれしい。 そのことを地域のみんなで共有できることの喜びの深さ。

「こうありたい心」がエネルギー。 毎日こうありたいの連続でここまで来た。

家の中から火が消えた。 本来、火が家の中心にあった。 かまど文化、いろり文化など火から一日が始まる。 (ここでは現役でかまどがフル活用されている)

縦糸の阿部家(1日2組までの宿泊可能、予約昼食可能な古民家、兼松場さんの自宅、イベント会場・・) と横糸のイベントと考える。                                           それを紡いでいく、そしてそれぞれを次の世代につなげていくことを使命に思う。

若い社員がここで働きながら身につけていく。 明確な志を持って全国からここに働きに来てくれる若者が多い。 インターン研修後一度は東京へもどったTOEIC690点の外大生もあまりの価値観の違いに愕然とし、改めてコミュニティーに価値を見出して、今ではここのレストラン部門で活躍してくれている。 外国からのお客さんも多いので助かる。

女性が変われば世界が変わると思っている。 しかし、人を変えるのは難しい。 ところがこの30年の自分の学びを娘も見ていたことを知った。 自分が変わったら娘も変わっていたという真実に真理あり。

石ころひとつでも美しいものは美しい。 アートとは本来そういうものなのでは? むやみに作り出すものではなく、「あるがまま」という中にさえ立派な価値は溢れている。

毎年地域住民が集まり全体写真を撮ってカレンダーを作っている。 50年アルバム構想である。 このことに意味はあるのか?
今は意味がなくとも未来にあるかもしれない。 それでいい。

孫を孫と認識できるのは人間だけ、孫たちの世代にプレゼントできる、残すものを作り、育てたい。

根を張ること、根さえ張ってしまえば生きていける。

アーティストも何かと長期滞在者として集まってきた。 住み込みながら表現と創造を繰り返し、中には家を購入し永住を決めた人もいる。

これからも積極的に関わってくる人は増えていくだろうと思っている。”

(※注・メモ書きを元に私流の解釈も交えているので正確を欠く部分もあり)

 

 

講演時間の関係上かなりの早口だったので乱雑なメモを取るのが精いっぱいだったけど、書き込みながら体も心もどんどん幸せに満たされていくのが本当に心地よく、喜びに溺れそうにもなりました。

こんな感覚は久しぶりです。

波動が同調するというのでしょうか、あぁ、また出会うべき人に出会えたなぁ、というのでしょうか?

そしてまたそれは今の私が抱えている様々な悩みや問題は、未来にとって必要な土壌づくりに他ならないという示唆をいただけたということなのでしょうか?

様々な思いが胸を交錯します。

私も会社を創立し、ボランティア団体を立ち上げ、諸々のことを通して何かお役に立てればと思いながら12年目。

この登美さんの30年からみれば、ほんの若造でしょう。 若造君がどうこう言うには、ちと早すぎるようです。

登美さんから見れば折り返してもいない地点でした。

しかし、実はそのことが分からなくなるのです。 一所懸命やっているのに・・  などと自分の地図の上で迷子になったりするのです。

ここで大切なのは人生の先輩です。 しかも志を同じくできる先輩です。 その人の後ろ姿に同胞は勇気とエネルギーをいただけるのです。

たっぷりと頂いてまいりました。      だから泣きそうになったのでした。。(笑)

ありがとうございました。

 

その後の和室での立ち話の中身とは・・

私からの質問 「ここに来る前から元々ずっとそういう志があったのですか?」

登美さん 「よくはわからないのだけれど、郡言堂から数えて7件の古民家の改装改築事業を行ってきました。 そして実はその時々のプロセスの中でより鮮明に、明確に「志」というものを感じることができるようになったのだと感じてます」

登美さんの魂に刻まれたひとカケラが銀山の表層に現れた銀鉱石の一部であったと仮定するならば、そこから繰り返す発掘作業の長い長い歴史の中から、地下にあるまだ知らぬ大きな鉱脈に行き着いたのではないのだろうか? 登美さんの心の中の鉱脈である本当の自分に・・・

 

清々しい時間であったことを少しはご理解いただけましたでしょうか?

乱文お許しの程を・・

集まった人たちがそれぞれに発言し、その中で良い方向性が生まれるという意味を持つ「郡言堂」の登美さんと、その郡言堂の意味を我々に問いかけながら今回ここまで誘導してくれた会長のびんさん。

この二人のやわらかな揺らめきのようなコラボレーションによってたっぷりとした思索の機会をいただけましたこと、心より感謝申し上げます。

またここに来ることを登美さんに約束して、帰途につくのでありました。

(おしまい)

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