先週のある日、名古屋時代の恩師から荷物が届く。
何だろうと思いながら開けると、
卒寿記念と書かれた置時計がひとつ。
そうか、90歳になると言ってたなぁと思いだす。
それにしてもわざわざ私なんぞに送ってくださるとはと、恩師に電話を入れる。
旧帝国大学卒、朝日新聞社定年勤務を終えられたその頭脳は、現在でも聡明さを見せ続けている。
新聞社主催の福祉ボランティア活動を通して、共に世話になった名古屋の友人有志たちは、何十年にわたり二か月に一回ほど恩師とともに飲み会を開催してきた。
私も行けるときには出席させていただいてきたが、数えるほどである。
それにもかかわらず、恩師は「准会員」扱いとして、私にも記念品を贈ってくれたのであった。(笑)
恩師曰く。
「君らがずっと呼び出してくれたおかげで健康であれたと思っている。 ささやかなお礼の気持ちを受け取ってくれ」
ということであった。
「憎まれっ子世にはばかるでんなぁ」などとからかいながらバカ話をさせていただいた。
体はさすがに杖なしでは歩けないようで、外出もめっきり減った様子。
そんな状態にも関わらず、できの悪い息子のような、アホな我々に対して一人ひとりに礼を尽くす。
すばらしい人だと思う。
こんな人だからこそ、私たちも卒業してもずっとかかわり続けてきたのだろうと思う。
私にないものをふんだんに見せてくれるし、与えてくれる。
そんな些細なやり取りから、自分がこれからあるべき姿の一つを垣間見せてくれる。
もちろん本人にそんな意図はないだろうが、素晴らしい人とはそんな風に人に影響を残していくものだとも思っている。
大切な人が老いていくことに、一抹の寂しさはある。
しかし、老いてもなお与え続ける凄みに震えてもいる。
自分の在り方にとって、まだまだ遠い道のりを垣間見せられたような気持ではあるが、心からのお祝いの気持ちを贈らせていただきます。
心の底から「恩師」と思える人に出会えた喜びに感謝申し上げます。
次回の飲み会は参加する予定ですよ。
とっつぁん、それまで生きてろよ~ 。