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次なる安心
2017年1月20日 | 雑記

今週初めくらいから健康状態も回復し、健康であるということはこれほど調子がいいということなのかと、普通であることの奇跡に、いい年をしてびっくりした。

健康を害することで、不安要素が自然に生まれていることの確認もできてしまったのだが、人類の不安も相当なレベルにきているようでもある。

霊長類学者でもある京都大学総長 山極寿一氏の言葉を拾ってみよう。

 

“ 今は安心が消え、不安が極大化した時代。

 

人類とチンパンジーが枝分かれしたのが700万年前。

熱帯雨林の中で生活し、大型肉食獣に襲われにくい環境。

 

450万年前からサバンナへ進出。(ヒトが世界中に散らばるきっかけ)

サバンナは逃げ場がなく不安。

 

50万年前、狩猟具を持つ。

 

20万年前、大きな獲物を協力して狩るようになる。

人類の歴史のほとんどは、肉食獣から逃げ隠れし、集団で安全を守りあう時間。

 

安全=安心

だから人間の体の奥底には、互いに協力しないと安心は得られないことが刻み込まれ、社会性の根深い基礎となっている。

 

安心は一人では得られない。

安心を作り出すのは、相手と対面し、見つめあいながら、状況を判断する「共感力」

 

協力したり、争ったり、おもんばかったりしながら、互いの思いをくみ取って信頼関係を築き、安心を得る。

人間だけにある白目は、視線のわずかな動きを捉え、相手の気持ちをよりつかめるように進化した結果。

 

脳の大きさは、組織する集団の人数に比例する。

構成人数が多いほど、高まる社会的複雑性に脳が対応した。

現代人と同じ脳の大きさになったのは60万年前。

集団の数は150人程度に増えていた。

常に顔を覚えていて、信頼関係を持てる人の数とほぼ同じ。

言葉を得たのは7万年前だから、言葉なしに構築した信頼関係であった。

日頃言葉を駆使し、人間関係を左右していると思うのは、大きな間違い。

 

現代はどうか?

集団とのつながりを断ち、集団に属することで生じるしがらみや息苦しさを軽減する。

個人として存在しやすいように技術は進み、経済成長を実現してきた。

次々にマンションが建ち、個人は快適で安全な環境を得たが、地域社会の人のつながりはどんどん薄れた。

直近では、ソーシャルメディアを使い、対面不要な仮想コミュニティーを生み出した。

人間の歴史の中にない集団の作り方である。

出入り自由なサイバー空間で「いいね!」と言い合い、安心しあう。

現実世界であまりにもコミュニティーと切り離された不安を心理的に補う補償作用として、自己表現しているのかも。

しかし、その集団は、150人の信頼空間より大方は小さく、いつ霧散霧消するかわからない。

若者はますます、不安になる。

 

土地とも人とも切り離され、社会の中で個人が孤立している時代だからこそ、人類はどうやって安心を得たのか、生身の体に戻って確かめるために、霊長類学が必要とされているのだろう。

 

ビジネスも、不安をあおりたてることで成り立っている。

保険や防犯システムに限らず、「ファッションが流行遅れかも」といった、他人から下に見られるかもしれない、社会の負け組になるかもしれないといった不安を、企業はあの手この手で刺激し、解消策を商売のタネにする。

種々の不安は大きくなり続け、とどまることがない。

 

人々が信頼をつむぎ、安心を得るために必要なのはただひとつ。

ともに時間を過ごすこと。

その時間は「目的的」であってはならない。

目的的とは「価値を得られるように過ごす」こと。

ついつい価値を増やすことが求められるが、安心を得るのに必要なのは、見返りを求めず、ただともに過ごすこと。

互いに相手に時間を捧げる。

赤ちゃんに対するお母さんのように。

 

類人猿にはない、人類の進化の謎の一つに「プラトニックラブ」がある。

子を残せないから生物学的にはムダなのに、熱い情熱と長い時間を注ぐのは、思い合うことが信頼や安心をもたらしてくれるから。

人間は、一人ではどうにも生きられない存在なのです。

 

グローバル化で社会が均一化すると、逆に人々の価値観は多様化する方向へ向かいます。

個人が複数の価値観を備え、自分が属する複数の集団でそれぞれのアイデンティティーを持つようになる。

そうした時代には、五感をフル出動させた人間関係の作り方がさらに重要になるでしょう。 ”

 

 

ということでした。

霊長類の歴史をたどることで、人間がどうやってここまで生き延びてきたのかがうっすらと見えてくることで、改めて私たちのご先祖様が成し遂げてきた偉大さに感動します。

今だけを存分に楽しんで生きているような顔をしていても、この歴史の前ではまったくもって色あせてしまいます。

私たち人間が生き延びてきた、万年単位の歴史の中で培ってきたDNAは、そう易々とは変えられるものではないのだと認識します。

いくら新しいコミュニケーションシステムが構築されたところで、この本質原理は体内に眠っているということになるのでしょう。

素直にその本来の性質を安心させてやることで、本当の意味においての「癒し」に満たされるのかもしれません。

あらゆる対処療法における一瞬の癒しを繰り返すのではなく、顔の見える信頼に基づく、ともに過ごす体験の持続から生み出される安全と安心を心から感じられたとき、間違いなく今よりもはるかに幸せ感はアップしていることでしょう。

私が創り続けている仕組みも、アナログなデコボコした関係性からしか、本質的気づきは生まれないという論理に立っています。

そのために、「知る」ことよりも、「行動する」ことに重点を置きます。

知っていても、できない人であふれているからです。

いえ、できないことはいいのですが、それ以前に行動しないのです。

だからこそ必然的に、直接会う機会、行動する機会をいかにして創り出すか?

そのための道具としての、「あいあいキャンプ」であり、「seed」であり、「フレッシュリーブス」であり、「シェアカフェ」であるわけです。

環境を創るのは私の役割、行動実行するのはそれぞれのメンバー。

 

損得抜きで、人は人のために、どこまでともに生きれるのか?

 

 

これからもできうる限り、その一点にコミットメントしながらチャレンジしていこうと思います。

実はすでに、次なる仕掛けの進行中。

何が生まれてくるのか、もうしばらく待っててね。

 

 

 

 

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