数か月前の名古屋での恩師を囲む会にて、「沖縄に行きたい」という恩師の一言から皆で行こうと相成った件。
その後早割にて予約を入れ、準備万端整ったのち、名古屋の仲間から連絡が・・
恩師高齢のため大事をとって中止とのこと(家族の意向)。
当たり前である。
90歳の超高齢者を数時間も飛行機に乗せ、旅行するなど・・(苦笑)
私は実は決まった時点で予想していたので、中止になっても私はかみさんと行こうと決めていた。
前々からかみさんが「行ったことないよ~」と言い続けていたから。
ということで、11月17日(金)から3日間沖縄を楽しませていただきました。
幸運にも松山沖縄便が1日1往復飛んでいたので大助かりです。
松山の気温は10度を切る中、10:40発、沖縄12:40着。
多少の遅れがあったものの、急ぎレンタカーに乗り換えまずはひめゆりの塔へと向かいます。
何を差し置いても「祈り」の場所にまずは行きたい。
それからでないと沖縄は始まらない。
そんな気持ちだけははっきりとありました。
小雨の中でしたが、半そででちょうどいい気温と湿度がなおさらに本土との「差」を意識させます。
頭で知っていたはずの知識は、現地の資料を前にはかなくも砕け散りました。
立ち止まるたびに砕け散り、今まさにこういう時代ではないのかとさえ思えてきます。
その魂のこもった資料の数々と、この土地にしみ込んだ霊気の力でしょうか?
全力で訴えてきます。
私の良心に対して。
ある意味軽く考えていた予定時間などすでにどうでもよく、この場でしか感じえない体験を大切にしたいとの思いが強くなっていました。
しかし、
後半の部分でかみさんに思わぬ不調が・・
ほとんど体調不良のない彼女が割れるような頭痛に襲われ、ふらふらしながら壁際にもたれるように歩いています。
いらぬ詮索をしても仕方がありませんが、いろんな意味で「受けた」のでしょう。
その後外の風にあたると嘘のように回復し、いつものかみさんに戻るのでした。
次に向かった先は沖縄平和祈念公園。
広大な敷地の中を歩きます。
祈りの場所でいっぱいです。
祈らずにはおれません。
その中の資料館へ向かいます。
この中も六感すべてが刺激されます。
向き合わざるを得ない感情に支配されると同時に、少しでもこの場所で祈れたことに感謝できます。
日本人であると思うのであれば、
今日まで平和の中で生かしていただいたと思えるのであれば、
我が事は差し置いてでもこの場で一度は感謝をささげることが重要であると心から思えます。
もちろんそれは各地に残る慰霊碑とて例外ではありませんが、来れるうちに一度は訪れたい場所だと思います。
沖縄=リゾートという幻想にとらわれがちですが、それが叶うまでの事実はしっかりと理解したうえで、この地を楽しみたいとも思いました。
その後すでに夕暮れの中、アメリカが上陸してきた読谷村のホテルへと移動するのですが、高速道路に乗るや否やワイパーの効かないくらいの大雨の洗礼を受けます。
まるで私たちが「異物」であるかのように、それを洗い流してしまうかのように、すさまじい雨は続きます。
1時間後やっとホテルに着いたと思っても、駐車場は氾濫した川のごとくあふれ流れております。
後でこの時「大雨警報」が出されていたことを知るのですが、いずれにしてもダイレクトに心に残る初日でありました。