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理念の芽吹く日
2012年11月1日 | ボランティア活動, 雑記

前ブロで、今の大学の在り方がもたらしている結果の一つとして、あいキャンスタッフの実質的人材不足や、スキル不足を招いている類のことに少々触れさせて頂きました。  これは私の勝手な解釈で在るわけですが、ではそれぞれの立場の専門家は今の大学教育の在り方についてどう見ているのか?  そのことを表現している方々のご意見をご紹介してみたいと思います。

 

まずは、文科省中央教育審議会大学分科会会長の安西祐一郎氏はこう表現されています。

“ 日本の学生の6割は自発的な学習に1週間で1-5時間しか当てておらず、1割は0時間である。 日本では自分から学ばなくても卒業できるというのが平均的な姿である。 受身の教育から能動的な学習へ、大学教育を変えなければならない。 日本の大学は総じて横並びで、自分で自分を変えるマネジメント力が不足している。 国力を上げるには、学生が主体的に学べるように教育の場を変えなければならない。 授業は少人数のディスカッション形式を中心として、準備をしてきた学生が能動的に発言できるようにする。 授業の難易度を明確に示したカリキュラムをつくる。 図書館は24時間開放するなどの改革が必要。

それにより教育の質が変わると、在籍中の大学や学部が合わない学生も出てくるだろう。 他大学に移れば、生き生きと学べる可能性は十分ある。 それまでに得た単位を持って、転学・転部が柔軟に出来る仕組みも考え、定員や単位履修の定義も変えていくべき。

今改革を断行せずに、世界の人材育成の動きから取り残されると、一番損をするのは、大学教育が人生を与えてくれると思っている学生である。 これからの世代を応援する気が本当に在るのかどうか、大学の本気度が問われている。 ”

 

では次に、お役所ではなく、大学の現場の声はどうか?

聖学院大学長の阿久戸光晴氏はこう表現する。

“ 中教審の大学分科会が、各大学に対して学生の勉強時間を把握することや、増やすための取り組みをするよう求めるが、教育現場の立場からすると、手段と結果が逆転した本末転倒の議論である。 本来、教員が本当に魅力ある授業づくりに努めれば、学生は自ら授業に備え、授業後も関連した本を読むなど復習もするだろう。 だから中教審が議論すべきは、どうすれば授業の中身を充実することができるのかということである。 授業の質を問わずに国が一律の勉強時間の目安を定めて、各大学に圧迫を加えるのもどうかと思う。 背景には産業界からの要請や大学の国際競争もあるのかもしれないが、学生がただ机に向かっている時間を増やすことを目標に掲げることの意味がわからない。 学習の向上とは、時間の量ではなく、質の向上にかかっている。 時間の質とは充実した集中時間のことである。

「考える事が楽しい」「今この問題を考えることが自分にとって切実だ」という課題意識がはっきりする時、学生は自ら進んで図書館へ行き、気が付いたら夜になっていたり、驚くほど分厚い本を読み始めたりするようになる。 大切なのは時間の量ではなく、勉強の質だ。

本学にも勉強が身についていない学生はいる。 しかし、1年の時に受ける「基礎ゼミ」で授業の聴き方、ノートの取り方、図書館の利用の仕方などの基礎知識の指導を通して、教員が学生一人一人と個人的にきめ細かく対話するように努めている。 そうすることで学生は自尊感情が芽生え、自ら学ぶ力が身について、変わっていくことができる。 家族までが驚く変貌ぶりを、私はいくつも例に挙げられる。 アメリカの地方のリベラルアーツカレッジには、古典を読んだことがない学生、歴代大統領の名も知らぬ学生もいる。 しかし、その教員たちの多くはキャンパスに住み込み、学生たちとファーストネームで呼び合う関係を作り、面倒がらずに指導する結果、学生は自ら学び考える楽しさに目覚め、猛烈に勉強する学生に変化していくのです。 今の日本の大学は、世界に通用する人材を育てられていないという現状への危機意識は理解できるが、だからと言って国が上から一律に勉強時間を決めれば、世界に通用する人材が急に育つことは在りえない。 ”

 

ここまでのお話だけでも中々びっくりでしょ?

ホントにプロが言ってるの? って思いません?  でもほんとなんですよ、今の日本って。 これってなにも学生がどうのこうのと言うだけでなく、大の大人がこんなこと言ってるわけですよ。 そこにまず私は驚いてしまいました。

でもまあ何とかしたいと思っているのはみんな同じなわけですね。

 

では最後にもうおひと方、以前にもご紹介させていただきました、NPO「カタリバ」代表理事の今村久美さんです。

“ 大学での学びって何でしょう? 授業と直接関係ない読書、NPOや地域などでの活動、企業でのインターンシップ。 どれも学生にとっては大切な学びになっているはずです。 そうしたことが血肉となり、結果的に自分の強みになっていく。 「学習時間」は、単純にはとらえられない。 たとえば企業で働く人の労働時間は、企業が所有権を持っている。 でも学生の時間は学生自身が持っている。 大学のものではない。 自由な出会いとチャレンジが想像を超える学びとなる。 それが学生の特権です。 今の高校までの学校教育では社会と接する時間が少なく、興味のあることを見つけ、膨らませる機会が乏しいのが現状。 だから多くの高校生が偏差値で進路を選んでいる。 大学生になって初めて、真の意味での学びの場に放たれる。 何に関心を持ち、どう学んだらいいかというレールは敷かれていない。 医学系の学部などは別として、学生は一般的に自分が将来「何者」になるか分からない。 だから大学の役割は、詰め込み教育的な考え方で勉強をさせる事ではないのです。 学生自身が興味を見つけ、自ら学びたくなる。その内発性に火をともしてあげることでしょう。

「不本意入学」の人がほとんどのような大学もあります。 学生は自己否定感さえ抱いている。 教員は「学生の質が低い」と憂えているだけではなく、大学に来ることが楽しみと学生が思える「場」づくりをしなければならない。 その一方、グローバルな人材育成や専門職育成など「学習」をどう定義するかは様々であるべき。 文科省には大学の多様性を許容してもらいたい。 今の流れでは、短絡的な成果指標を設けるのではないかと不安である。

私自身は大学(慶応大学)で「複雑さが増している社会において課題を発見し、自ら解決策をつくりだす人がいなければ社会は変わらないから、そういう人材になれ」と教え込まれた。 問題を見つける事から始まる授業や人との出会い。 いろんな学びがつながって、取り組みたい課題の輪郭が見えていった。 そうした学びの在り方は数値化できない。

子どもや生徒が語らいの場を通じて社会に目を向け、ビジョンを持つためのNPO活動をしている。 大学の先生たちが想定していない、言ってみれば就職率を下げている「規格外」の人間です。 でも、そのような存在を生む機会までも用意するのが大学の機能だと思っています。 ”

 

さあて、 受け取り方は千差万別でしょうが、少なくともあいあいキャンプのキャンパーさんたちと、はーと・ねっと・くらぶのスタッフ諸氏にとっては、今村さんの意見が素直に腑に落ちているのではないでしょうか? (ゴメン、キャンパーには今はまだ難しいか?)

彼女が書かれてあることを、まぎれもなく実践してきたのですからねえ。(全員ではないですが・・)

そういう環境が目の前にあったことだけは再確認できたのではないでしょうか?

もうすぐその環境は無くなります。 自らの判断により、決断により(キャンパーは違うけど・・)。

でも安心しなさい。

すでに体験した人にとっては、体験していない人にとってよりも、次なる世界で、今という世界で、その環境を自ら構築できるであろう資源をはるかに有しているということなのですから。

 

「種は、もうすでに蒔かれている」

「自らの心の中に、自らの手で」

 

それが私から、あなたたちへ伝えられる全てです。

いつの日か、芽が出てくるのかどうかは誰にもわかりません。

今という時を、ただただ一所懸命に生きていってほしいと願っています。

そうすれば、その先にこそ初めて、蒔いた種の芽吹きの可能性があるように思えるのです。

その時は、私はもうこの世にいないかもしれませんが、それでもその時があなたに訪れたなら、間違いなく、私は嬉しい。

あの世であろうと、どこであろうと、間違いなく私は喜ぶ。

その日が、最高最良の、私にとっての贈り物となるでしょう。

ただ、 今まで通り、 期待もせずに、 私もまだまだ生きていきますよ。

それぞれの場所で、 一所懸命に、 生きていきましょう。

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