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真夏の夜のひとりごと
2016年8月15日 | 雑記

56年間の人生においても、記憶のないような猛暑日が続いている。

年のせい? と思わないでもないが、あまりにやる気をそぐような暑さである。

 

が、 そんな中、妹夫婦とともに、父方、母方のお墓参りに行かせていただき、親せき宅で懐かしの顔ぶれと話しこみ、両親に報告と・・

 

また、来週帰省する予定の娘の部屋を大幅にかたずけ、炎天下のもとベッドの解体作業にいそしんだ後、粗大ごみ処理場に走る。

 

暑さのせいか、頭の中に何かの塊があるかのごとく重い。

 

そんな中ではあるが、世間は高校野球に、オリンピックとにぎやかしい。

日本柔道界も全階級メダルをとれたようで、喜びに沸いているが、この間まで惨憺たる状態であったことが脳裏をよぎる。

なぜここまで回復できたのか?

 

柔道日本代表男子監督が、井上康生氏に代わってからチームはがらりと変わったようだ。

遠征時はスーツを着用、ひげを伸ばすことも禁止、スポーツ界の模範たれ。

合宿等も、選手の拘束時間を減らし、もともと所属するチームの指導者と密に連絡しあい意思疎通を図った。

「全日本と所属。 どちらが上でも下でもない。 両者がいがみ合えば、ひずみは選手に及ぶ」

どうすれば、選手が最も力を発揮できるか、その一点に絞った。

 

コーチ人事にも反映された。

90㌔級担当の廣川・桐蔭横浜大監督は選手として五輪や世界大会出場歴がなく、付き合いもほぼなかったが、「知識の森」と評される見識の持ち主と聞き、口説き落とした。

ロンドン五輪で惨敗した100㌔級100㌔超級担当には、豪胆で率直にものを言える金メダリストの鈴木桂治・国士舘大監督を配置。

3年前の世界選手権でメダル無しだったこの階級は、昨年全員が表彰台に立った。

 

「歴史を振り返れば、強い組織には必ず優れた武官と文官がいる」

移動時は、大好きな歴史書や人文系の書籍に目を通す。

上水・東海大監督は「あいつは珍しい人間。 スーパースターなのに本を読み漁り、勉強を怠らない。 過去の成功体験を引きずってもうまくいかないことを歴史に学んだのだと思う」という。

 

希代の柔道家の土台を築いたのが父だ。

道場で大きな相手を軽々投げ飛ばす姿は、5歳で柔道を始めた康生少年の憧れだった。

小学校4年から父子関係は姿を変える。

道場で「お父さん」と呼ぶ息子にげんこつが飛ぶ。

息子は理由が分からない。

道場で理不尽なまでに厳しい父と、家でテレビを見て馬鹿笑いする父。

この差は何なのか。

 

半年たったある日、道場で「先生、お願いします」と話す次兄を見て、康生少年はふと気づいた。

恐る恐る、小さな声で 「おとうさ・・・・ 先生」と話しかけてみる。

「なんて言った?」

「先生です」

「そうだ、康生。 柔道をする時、おれはお父さんじゃない。 先生なんだ」

父の諭す声がおえつに変わる。

息子もポロポロ涙をこぼした。

 

父親は途中、妻に「もう見てられん」としかるのをやめるよう、せがまれたという。

「でもこれだけは譲らん、と。 自分で気づくことが康生の将来の肥やしになる確信があった」

 

答えを教えるのではなく導く。

選手の自主性を育てようとする井上監督の指導には、父親の影響がにじむ。

 

 

「孤高の求道者」のイメージが強い井上康生であるが、怪我に泣いた現役後半。

そして引退翌年、2年間の英国留学が人生の転機となった。

同行した妻は、オンとオフを切り分ける英国の文化に触れた夫が、

「あの時、もう少し休む勇気を持てればよかったなあ」とつぶやいたことが忘れられない。

がむしゃらに戦い抜いた現役時代から、またひとつ人間の幅を広げる旅だった。

 

「おやじがよく言ってました。 金を貸してくれと頼まれたらあげるつもりで渡せ、と。 裏切るより、裏切られる方がずっといい。 時に非情になっても、基本的には選手を信じる心を大事にしたい」  (フロントランナー抜粋)

 

 

 

スポットライトを浴びている、すべての選手や関係者の心の中に、そっとしまい込まれている、もっとも光り輝くものこそが、本当の見どころかもしれないなぁと、

ボーッとした頭で考えながら、

お盆は終わっていくのでありました。

 

 

ご先祖様に、感謝。

 

 

 

 

 

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