『いい茶碗だ、だが何という平凡極まるものだ』
柳宗悦(むねよし)
「大名物(おおめいぶつ)」といわれる茶碗「喜左衛門井戸」を初めて目にした時、思わずこう唸ったと民芸の思想家は言う。
その根は「朝鮮もの」の並で質素な「雑器」にある。
そこには何の「波瀾」も「企らみ」も「邪気」も「技巧の病」もない。
「造作したところ」の微塵(みじん)もないまさにその「無事」が器を健やかなものにしていると。
平凡は一つの達成でもあること、忘れまじ。
『柳宗悦 茶道論集』から。(鷲田清一)
感涙しそうなほど言葉が光を放っている。
今の世の「アート」「アーティスト」と呼ばれる世界、
広告宣伝の世界、
製品づくりの世界、
ほぼほぼどこを見ても「波乱」を求め、「たくらみ」、「邪気」を持ち、「技巧」に走っている。
それこそが「道」と言わんばかりに。
それこそが「正義」と言わんばかりに。
それに乗り遅れた人は「時代遅れ」と言わんばかりに。
はて、
果たしてそうであるのか?と柳氏の言葉が問うている。
「奇をてらわず」、「愚直に」、「すなおに」、「基礎的に」生きていれば、
健やかな「無事」がつくられるのでは?と問うている。
いやそれどころか、
大名物(おおめいぶつ)と言われるよと言っている。
泣けてきますよね。
あれ、笑われますか? ( ´艸`)
まあそれはいいのですが、こんな視点で生きている方がめっぽう少なくなってきたような気がするもので・・
今一度、ものの見方、生き方を教えてくださったような気分です。
ありがとうございます。