4月5日の土曜日、朝一より某所にておいさんたちと出会う。
初めて出会うのは大工の棟梁。
まあ驚きの大工。
こんな感じで、古民家のような新築をびっくりするほどお得な金額で作ってしまう。
床板など45ミリの無垢ゆえ断熱材さえ不要。 随所に古来からの知恵が息づき、現代のものを軽く凌駕する。
健康住宅などという言葉など生み出す必要もなく、それがすべてにおいて行き渡っている。
先のブログでも触れた、松岡正剛氏のいう「型」とは里山や野山での生活や労働から生まれたデザインであり、よりどころであり、語りかけてくるものであり、面影である。
すなわちそれ自体から、その場以外のものが見えてくるということであり、一つの意匠の中に面影が潜んでいるということであり、たとえば正岡子規の面影は人それぞれに違うように、それは作る人のみならず、見る人にとってもそれぞれにある面影であり、そしてなおかつ共通できうるもの、それこそが「典型」ではない「原型」である。 日本人にとっての「米」であったり、「箸」であったりするものである。 今の日本は「典型」を追いかけているだけで「原型」を考えようとしない。 「型」とは削って最後に残るもの、「姿」とはその中にあるもの。 意匠はすなわち心。 だからこそ風土や職人が変わっても守られるもの。
ということばが浮かんでくる。
また、山田節子氏のいう、作り手も生活者であるが、ちゃんとしたものを食べてますか? いいものを使ってますか? 生活をちゃんとしてない人がいいものを作れますか? 売れますか? お客はその本音を見抜きますよ。
という言葉も浮かんでくる。
それほどにこの棟梁がどういう風に「生活」しているかが見えてくる「家」であった。
作業場も見せていただいたがやはりすばらしかった。 そしてここでは若手の職人が育っていることも特筆に価する。 仕事が楽しいのだ。 松岡氏が「クラフトと工芸は違う」というように、プラモデル化された「作業」としての家作りと、一からすべて自分で造る「仕事」とは違うと感じるほど楽しいのだと思う。
まずはこの人と出会わせていただいた。 私の最終ビジョン実現に一役かってくれるかも知れない人である。
そして、 私が大切な仲間だと勝手に思っているおっちゃん二人と共に、ビジョン実現のための場所見学ツアーに出かける。
さすがである。
地元の人の強みとはこういうことを言うのだろう。
私がまったくもって知りえない秘密の場所に連れて行ってもらえる。
もちろんまだ場所はいえませんが、可能性があれば行きたい場所がいくつかありました。 感謝。
その後昼食をとりながら、一人、また一人という具合に、ビジョンの理念に同調していただけそうな地元の重要な方々を紹介してくれます。
感謝。
そしてある古民家にての「春のてんぷら祭」。
これまた地元の窯元でもあるかなりの達人自らが集めてきた山菜を、達人自ら調理してくれるというスペシャルな時間。 内容はあまりに濃すぎるので省略。
ただ、生まれて初めて食す食材多し。
レシピは、
という具合。
アザミなど、作り手も食したことがないものまであり、キャアキャア言いながらいただきました。
ある場所で、 ある人のおかげで、 ある人と出会う。
ほんの少し本音で語り合うだけで、 ひとつの機会を二つにするだけで、 それが数倍にも数十倍にも、数百倍にも膨れ上がる不思議。
理念を持ち続けること、 それが自分だけよしとするものでないこと、 そんなことが伝わり続ける生き方を選択し、 行動し続けると、 必然として生まれる結果。
そんなことをもう何度体験させていただいたであろう?
何度体験しても、 最高に気持ちがいい。
だからまた体験したくなる。
本心から楽しいこと。
そんなことが、「持続可能」ということなのではないでしょうか?
生きるためにはそれどころではないという方々も、仕事以外にひとつくらいそんな場所を見つけられるといいですね。
ゆっくりとこの場所で育ててみたい気持ちになりました 。