人間は人間になるために必要な愚かさを失ってはならないのである。 霜山徳爾
おのれの貧しさを晒(さら)し、限りなく人を受容し、しかもそれを当然のこととする「度量」と「なさけ」。
それこそ人としての「信頼」の核にあるものだと、臨床心理家はいう。
親バカがそうだし、意気に感じる、情にほだされる、あえてアホになるのもそうだが、損得の計算を超えてふるまってしまう、そういう愚かさを、かつて人は徳の一つに数えていた。
この記事を読むまでもなく、「今」に生きる人々の、「許容能力」の激しい低減に驚かされ続けた2020年だったといっても過言ではあるまい。
何気ないことを発端とし、煽り運転手と化したり、コロナ感染者や医療従事者などを攻撃したり、ネット上の世界でも然り。
とにかく自分の価値観以外は認められないとする、「度量」と「なさけ」のなさに唖然とする出来事に満ち溢れた1年であった。
それがないということは、霜山氏のいうところの「信頼」がないということになるわけだが、親バカにさえなれない親や、情にほだされることのない日常に生きている世界を鑑みると、なるべくしてなった、作られるべくして作られた世界ということになろうか。
損得の計算を超えてふるまってしまう、そういう愚かさを、かつて人は「徳」の一つに数えていたとする解釈に、思わずなつかしさが込み上げてきた。
格好つけてもつけなくても、「必要な愚かさ」は持っていていいんだよ、失っちゃだめだよと導いてくれるその言葉に、素直になれる心をもって、
2021年をお迎えしたいと思います。