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16才の犬 その弐
2009年5月4日 | 雑記

16才の犬が餌を食さなくなってかれこれ三週間になろうか。

その頃から端的に弱り始めたのであるが・・

 

食べないのだからそれだけで体力は落ちていく。その消耗していくところでそうやってふらつきながら歩き続ける。そんな日々を続けていたのだが、それもついに歩けなくなった。

思うように歩けないときもその歯がゆさからか、調子の悪さからか、悔しそうに、悲しそうに鳴き続けていたのだが、今度は思うように起き上がることさえできない歯がゆさになり寝返りさえもできなくなった。

体もつらいのであろう。夜通し鳴き通していた。

その声に私たち ・・特にかみさんは心を痛めた。犬のつらさと自分のつらさが重なりかれこれ参りかけていた。しかし、彼女は考え方を修正し、昨夜ほとんど夜通しで30分おきに丁寧に寝返りを手伝っていた。その体をいたわる行為と、共にいる安心感とで16才の犬は鳴き続けることも無く、比較的静かな一夜を過ごした。

私はのんきなものでその恩恵に被り、ぐっすりと眠らせていただいた。  なんと薄情な男であろうか・・

 

そして彼女はゆっくりとした朝を迎え、ごみ出しへと向かった。私は二階で新聞を読んでいた。

彼女が出て行った後、聞きなれた犬の鳴き声が二、三度聞こえた。そして静かな時間が動いていた。  彼女が帰ってくるまでは・・

 

「おとうちゃん・・」  という彼女の声の響きからすべてを悟った。

 

16才の犬は旅立った。

最後まで立ち上がることへの挑戦をやめなかった犬は天駆け巡るほどの自由を手に入れた。

生き尽くしたというような満足げで誇らしげで、それでいて安らかな寝顔であった。

 

号泣する彼女のそばで私は16才の犬の体をなで続けた。毛並みはきれいにそろっていった。

そして体が硬くなる前に足を走っているように折り曲げてやった。

 

帰る予定の無かった高松と大阪の二人の子供たちは夕方帰ってきた。16才の犬に会うために。

そしてそれぞれの想いと、思い出に対面した。

私の父と母もやってきた。 実家の番犬も勤めていたから・・

 

それぞれの人々と共に数多くの時間や思い出、感情、存在を共有した。 生き物として命として共存共有した。  そして最後の最後に私たちは教えられた。         死ぬまで生き切ることを。

 

それを見せるためにやってきたか     ・・・恐るべし16才の犬君。

 

今晩我が家でみんなそろい16才の犬のお通夜の食事会ができた。

連休に合わせてみんなそろえるようにするなんぞ、心憎いよ君は。  

ありがとう、16才の犬君。  長きに渡り家族にうるおいをありがとう。  ものすごい思い出をありがとう。  一緒にいてくれてありがとう。

 

でもやっぱり、 やっぱり強烈なのは、 一番すごいのは、   

死ぬまで生き切る姿勢 ・・・

 

あの姿が ・・     焼きついてはなれない。   今の自分にはまぶしすぎる。

 

ああ、   なんという罪作りな ・・・      16才の犬。         

                                       合掌

 

 

 

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