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生きるために生きる
2010年5月28日 | 雑記

なんと、 はや週末である ・・・

はやっ!   ちと時間調整軸が狂ったかな?  

忙しく生きるも、、ぼーっと生きるも、実は継続して生きていることに変わりはない。

ないが、果たしてそれでもなお継続して生きる意味はあるのか ・・

 

経営の師匠はこういいます。

“継続は力になります。 昔から言われていますが、中道に廃す人がたくさんいます。  孔子は自分の弟子に言いました。 

「君は自分の事情で勉強を途中でやめようとしているが、それは自分を見限ったようなものだ。」

経営者でも幹部でも社員でも、途中でやめる人が圧倒的です。 人生で人様と差別化して独自性を出すにはあきらめずに続けることです。 続けた人間にしかわからない境地があります。 その境地こそが大切なのです。 勉強が目的ではない!勉強を続けて得た「境地」が目的です。”

 

「月刊・理念と経営」の言葉

4月号「プロとアマの違い12ヶ条より」

「例えば皿洗いでもよい。山のように詰まれたレストランのお皿を、三十数年黙々と洗い続けた女性が言った。

「私はこの場所でお皿しか洗えませんでした。美味しいお料理を作ることもできない。 お客様のサービスもできない。でも三十数年もここでお皿洗いに徹したのは私しかいません」

砲丸投げの室伏選手は、厳しい訓練と同時にオリンピックでメダルを獲得し、 華やかな選手生活を送った。 比較してこの女性は、四十代から夫に先立たれ、子供を養うために下積みの仕事に徹した。 だがプロに相通じるのは、自らがつくりだした生き方の境地だ。 この女性は七十を過ぎてもかくしゃくと生きている。   大濠一郎」

  

「何故、そこまでして参加すると言うのかと問われれば、 私は凡人だから一度や二度くらい木野先生の、 松下幸之助翁の思想を聴いても、 頭では理解できるが肝っ玉に入らないからです。 また一年の経験や体験を得ることにより、 一年前の気付き解釈が、違った解釈になる事が多々あります。 これは継続して、始めて解ったことです。」

 

 

・・・ この方々に共通しているであろう事は、生きている途中で答えを求めようとしていないことであろう。

そう、ただ淡々と、粛々と生き続けている。 今日も人生の一つのプロセスに過ぎないということを当たり前のように理解している。 それ以上求めることに意味はないことを達観しているかのようにも思える。

 

それらの考え方を生きるということに置き換えた場合、同じようにどんな生き方をしたにせよ、忙しく生きようが、時にぼーっと生きようが、毎日がかけがえのないプロセスであるかも知れぬということになるのだろうか? どんなに苦しい日々があったとしても、どんなに泣きたい日々があったとしても、今まで一度も笑えなかったことはないのだろうか?

必ず気づかない間にも静かに時は流れ、気づいた時には様々な体験や気づきを与えられていたりするのではないだろうか?  そう、人生は動いている。 今はこうでもいつかは変わる。 三十数年お皿を洗い続けながら、気がつけば子どもを育て上げ、かくしゃくとした七十代の人生を歩んでいる。

 

私たちにも出来ること。     何はなくとも生きるために生きること。      大いに死ぬまで生きましょー。

 

 

 

 

 

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