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不幸の条件と、幸せの状態と、感謝の関係
2010年6月19日 | 雑記

ある国では毎日の食べ物もままならず、水を汲みに行くのも片道数時間をかけ、家とはいえないような家で濡れないように家族で片寄せあいスコールをやり過ごし、過去の虐殺や戦争の想いに時にさいなまれ、未来を想像すらできない環境で、日々淡々と小さな感謝を持ちながら生きている人々が居る。

そんな中でも少しの笑顔を見せながら・・

 

かたや三食の食事に恵まれ、いつでも好きなときに水を飲め、冷暖房のある雨露を完璧にしのげる家に住み、それでも面白くないといった面持ちでもちろん感謝もなく生きている人々も居る。

まあまあ不幸かも知れないと思いつつ・・

 

はーと・ねっと・くらぶのメンバーに時折お話させていただくことがある。

「不幸は主に条件の中にある。 幸せは状態の中にある。」

 

お金がほしい、 家も建てたい、 車もほしい、 ベッピンの彼女がほしい、 携帯もほしい、 ゲームもほしい ・・・     もっとお金がほしい、 もっと大きな家に住みたい、 もっと大きな車にしたい、 もっといい携帯、ゲームがほしい ・・

条件に心を同調させるとどんどんその欲求は拡大する。 とどまることを知らない怪物と化す。

そしてその心は手に入れた一瞬の満足の後、 すぐにもっと・・ という不満足に変わる。 すなわち、不幸である。

 

何はなくとも、 何にもなくとも、 たとえ病気であっても、 たとえ障害があっても、 それでも生きていることに感謝できる人は、実はその心はその時平穏であり、満たされている場合が多い。 すなわち、幸せである。

 

条件を求めても条件は無限大にあるゆえ、決して満たされることはない。

かたや状態は心のあり方ゆえ、条件に左右されず、いつでもどこでも、誰でもその状態になろうと思えばなれる。

そう、 そして幸せの状態に少しでもなれるために必要なことは ・・・

どんなことにでも 「感謝」 できること。

たとえどんなに不幸だと思っていても、 たとえどんなに悲しく思っていても、 たとえ何もなくても、 たとえ一人ぼっちだと思っていても、 たとえどんなに自分が嫌いでも、 たとえどんなに相手を憎んでいても ・・・

 

それができれば苦労はないわい、 と思うでしょ。 でもそれが当たり前に出来ている人々はかなりいらっしゃるのです。 

山村の限界集落付近に暮らすお年寄りの中にも、 恐ろしい病と長い間お付き合いしている方の中にも、 思わぬ障害を負ってしまった方の中にも、 これでもかと言わんばかりの不幸に見舞われながら生きている方の中にも ・・・

私は知っています。 そういう方々がいらっしゃることを。 とてもステキな笑顔(幸せ) を周りに与えながら生きていることを。

だからこそ、人間の可能性が信じられるのです。 誰の中にもあるはずの「感謝」の可能性を。 ありがとうが創り出す幸せの可能性を ・・・

 

 

 

                 (注) 残念ながら私はまだまだですので、念のため・・ 

 

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