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余計なお世話?
2010年12月17日 | 雑記

不動産同業者が来社した折に、大変な時代がきたもんだ、憂鬱なもんだ、どうしたもんだ、どうしようもないもんだ、 というのが大概あいさつ代わりのセリフとなっている昨今である。

まあどこまで本心で言っているかどうかはそれぞれ違いはあるだろうが、まあ総じて雰囲気は似たようなものである。

この不動産業という世界、なかなかに経済世相に敏感に反応する世界でもあり、普通の会社さんよりもいち早く変化を感じることが出来やすかったりもする。 そこで素直に先を予想し、さまざまな準備に費やせば何とか生活するだけの環境は用意出来たりもするのではないかと思われるのだが、現実なかなかそこまで準備されていないケースも目につく。

この準備、たとえばうちのような仲介業であれば仲介がなくなったとしても収入の生まれる環境を作るということになる。 そのひとつに収益物件(アパート・マンション・テナントビル) の管理や所有もある。 うちで言うならフレッシュりーブスという物件になる。 

しかし、その物件というものは入居者さんがいてくれて初めて収益が生まれるものであり、ただの空き部屋であれば、固定資産税や修繕費用といった大きな支出が生まれ続ける負の財産にもなりえる。

その入居を斡旋することにより、管理することにより、初めて収支バランスが作られていく訳なのだが、そこに不動産のオーナーの影が意外に薄かったりする。

管理は依頼した不動産屋がするもの、私は何もしなくて当たり前。そのために管理料を支払っている・・・

まあごもっともな答えの一つではあるのだが、さあ、いつまでこの考え方でやっていけるのだろう?

オーナーの仕事は未入金の入居者がある場合、急ぎ不動産屋に文句を言い、あれもやって、これもやってと言いながら、通帳を眺めているだけでこの先安泰なのだろうか?

もちろんそうではないオーナーさんもたくさんいらっしゃるのでこの表現は適切ではないのだが、あえて極論の中から見えやすくするための手法とご理解ください。

 

何が言いたいのかというと、賃料や敷金、手数料のあるなし といった条件に左右される環境に甘んじていると、それよりいい条件のライバルが現れたとたんに経営が左右されてしまうということ。

そうではなく、ここにいることに別の意味や価値がある(付加価値) かということの方が息の長い経営ができるのではないのか?  ではその付加価値とはなんぞや?

たとえばその場所にオーナーもおり、なんやかんやと入居者さんの相談に乗れたり、毎日顔を見て挨拶したり、人を紹介しあったり、一緒にお茶を飲んだり、立ち話したり、そのお店にお客としていったり と まさに日常の何気ない風景がオーナーの意思として作られているかどうか? ということではなかろうかと思うのである。

そんな当たり前なこと今更言うな!  と叱られそうですが、さて本当に当たり前でしょうか?

私は毎日風呂に入っているときに 「毎日こんなあったかい、きれいなお湯につかっていられる、あぁなんて幸せなんだろう」 

布団にもぐりこんでホッとその温もりに安心したときに 「あぁ、こんな布団に包まれて温もりを感じながら眠れるなんてなんて幸せなんだろう」

冗談ではなく、本当にそう思いながら過ごしている。    笑いたい人は笑ってね。。似合わないのは確かだから・・

ここで話を戻すなら、本当に入居者さんが入っていてくれることは当たり前のことなのだろうか? 入居者さんが家賃を払えることは当たり前のことなのだろうか? そんな大切な人が一生懸命仕事していてくれるのに挨拶もしなくて当たり前なのだろうか? 自分に何ができるのだろうと考えなくて当たり前なのだろうか? ・・・

すなわち、 感謝出来なくて、 しなくて、  当たり前なのだろうか?

「あぁ、 居てくれてなんてありがたいんでしょう」 「来てくれてなんて幸せなんでしょう」

 

当たり前と思えることは本当に当たり前なのでしょうか?  人類の9割は毎日お風呂に入れてないでしょう、そんなことも想像せず私たち日本人はまだ何か足りないのでしょうか?

足りないことを探す前に、今あるたくさんの幸せに感謝くらいしませんか?

 

 

 

 

 

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