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北への旅 四
2011年2月22日 | 雑記

なんとまあ春めいてきたことでしょう。 バイク通勤などしていますと顕著に季節のささやきが聞こえるものです。 このまま汗が出ないうちに「北への旅」を終えねば笑われそうなので頑張ります。

 

さてさて、前回は夜明け前のまことに美しき、丹頂鶴と白銀と太陽の織りなす世界にしびれていたうら若き寝ぼけまなこの私の姿で終わってましたかねぇ。 見事なまでにこういう感動は覚えているものだなあと感心します。 冗談抜きで大概の事はその日のうちに忘れてしまう私としましては奇跡としかいえませんなぁ。。 一体私が覚えるということができる原因はどこらへんにあるのでしょうねぇ。 うーん、興味深いなあ。   などと言っている場合ではないのです。 そう、そろそろこの辺から怪しくなるのです。 記憶が・・

その感動からどのくらい経ったのか、まずはそれが定かでありません。 とりあえず次の記憶は終点の青森駅でした。 さすがに名前だけは知ってる私は本州最果ての駅ということでまあまあ感動しながら改札を出たと思います。  そしたらね、  田舎なんです。    もうちょっと賑やかしいかな?  なんて思ってたんです。 何せ本州最果ての駅ですから・・  なんかちょっとしたパラダイスかな?  なんて・・  勝手ですけど、 思ってたんです。 

おり立って、  どないしょー、  思いましたもん・・   ほんま30年ちょい前の青森駅はそないなもんでした。  多分今は新幹線いったし、すごいと思いますけど・・       この後の青函連絡船に乗るまでの時間つぶしが・・  あ~~、どないしょー。 くらい田舎でした。  今の若者は連絡船知らないよね。 説明するのも面倒になってきたけど、今は青函トンネル通って汽車走ってるけど、昔はそんなトンネルあらしまへん。  冬は大荒れの津軽海峡を生き死にかけて船で青森-函館間を行き来していたのでありました。 当時国鉄の連絡船として手堅く運航されていたにもかかわらず、昭和29年9月には後に洞爺丸台風と呼ばれる台風15号によって転覆し1155名の死者を出し、その他にも数隻沈没し累積死者数は3000名を超え、タイタニック号遭難などと並ぶ世界3大海難事故となってしまった事実もあるほど緊張感を伴う場所なのです。 私も知識としては知っていましたので、やはりそれなりに緊張したのは覚えています。 冬の津軽海峡を海の上から体験することは知識としての史実とはやはり違うものです。 海を見ながら何か考えたような・・ 思ったような・・     忘れました。

それからの記憶が・・   多分寝たのでしょう。 そりゃそうでしょうよ。 寝ますよ、あなた。 もうかれこれボロボロでんがな、あたい。

あー、 ほんまに眠たなってきた。   今日はもう寝ます。 おやすみー。

 

 つづく

 

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