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生と死の淵の国
2011年3月22日 | 雑記

先週末はseedのライブが連日ありマーブルデーやその他掛け持ちしながらの週末となりました。 なんか落ち着きません。

先週土曜日のマーブルデーは石の彫刻家「くまさん」http://www.h5.dion.ne.jp/~stonemia/ のお話でした。

くまさんは固い石相手のお仕事なのですが、それはそれはヒューマニズム溢れる優しくやわらかい人でもあります。 常日頃から弱い人のために心を使い、その人や自然を守るために小さくも大きな活動を惜しみなくやってこられた方でもあります。 神戸の震災の折にはすぐに自分の軽トラに水や食料その他を詰め込み助けに行き、瀬戸内に原発工事が始まろうとすると祝島の人たちと共にカヌーに乗り込み海の上から声を上げる。 全国や世界の実践者とつながり、その情報網たるやほとんどのマスコミ情報と違い、真実に寄り添った弱者の側からの声を網羅している。 一見いかついその風貌とは裏腹にこの優しさとフットワークの軽さは私を驚嘆せしめる。 なおかつそのユーモアは回りの人々を癒し、破顔がすべてを許してしまう。 そんな魅力あふれるおっさんなのです。 

この日も福島からの震災と放射能からの被災者を迎え入れていた松山ユースホステルに、早速現場のお話を聞きに行ってからの今回のマーブルデー参加でありました。 とにかく情報と行動が早い。

 

さて、そのくまさんは昨年12月よりインドの学校主催の彫刻大会に招かれて3ヶ月間みっちり向こうで彫刻しておりました。 今回のお話の内容はインドの報告会ということでありました。

インドは現在景気は良いようで、軽いバブル状態。 したがってその勢いのままに芸術活動も盛んになるようで、以前の仕事のつてもあり今回も招待されたようです。 現地の人々の姿や作成した彫刻の写真などを裏話を交え紙芝居風に語ってくれ、それは興味をひかれるお話でした。 しかし、その中で最も印象に残るお話がありました。

それはカースト制度についてのくまさんの意見でした。 世界に名だたる身分差別の制度・概念http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88 であるが、詳細は別としてくまさんはこういうとらえ方をしていました ・・

“確かに見事なまでの身分差別制度であり、就きたい仕事にも就けず生まれたときに人生が決定されているというそら恐ろしい制度であるのだが、実はこの国の民族同士は殺し合い、すなわち内乱によって領地を拡大したりという行為は行っていない。 日本をはじめ多くの国では領地、領土を増やさんがために民族同士でも殺し合いをしてきたが、インドではこの制度によってかどうかある意味事なきを得ているのではないのか? それだけでなく、端末の身分の人間はまともな仕事はなくせいぜい掃除婦として他人の家の掃除をするだけの人々も多数いる。 他家の食事を作るだけの人、洗濯をするだけの人、一種類のものを作るだけの人   ・・・・・・”  という具合だそうなのだが、くまさんは3ヶ月間毎日のようにこの国の人々と関り、話し合う中から一つの事実を知る。

これだけ取り柄のない職業についているはずなのに、どの家庭でも子供をかろうじて育てることができるだけの賃金が確保されている。  贅沢はむろん出来ないのだが、生きていくことができるだけのものは与えられるという了解がこの国にはあるというのである。

かたや略奪と抹殺の国々と果たしてどちらが ・・・       というお話であった。

 

何人として生まれようが、ガンジス川のほとりで死人として焼かれその灰を川に流す、そしてその傍らで人々は沐浴する。

生と死が渾然一体となり、それは分け隔てるものではなく、私たちは皆この繰り返しの中にいるということを何の疑いもなく受け入れている証拠であろう。  必要以上のものに囲まれ、人間本来の価値基準を知らぬ間に作りかえられてきた先進諸国の我々にとっては信じがたい事実も多々あるのだろうが、現在の日本の惨状の中から少し同じ匂いを感じるのはなぜだろう。

今はただ救済に集中すればいいこと。 一刻でも早く、一人でも多く。

しかしこれからの数十年の歳月の中から、東北地方が人類が見たこともないような新しい人間の国になっているような、  そんな気がしてならない ・・・

 

 

 

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