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老いの才覚的人格考察
2011年4月1日 | 雑記

作家、曽野綾子さんの著書「老いの才覚」の中にいくつかの考えてみるべきことがあるように思えたのでご紹介したい。

 

①高齢であることは功績でも資格でもない→「私は老人だから○○してもらって当たり前」高齢は若齢と同じように状態を表しているだけで勘違いしている人が多い。

②これからの日本は老人が増えていき社会保障費がかかるのだから、保険等がかからないようにするのが老人としての生き方→老いる才覚。

③日本は経済大国なのに豊かさを感じられないという人→貧しさを知らないから豊かさがわからない。もともと人間が生きるということはどういうことか知らないおめでたい老人が増えた。→日本ほど格差のない豊かな国はない。 不幸の姿が見えなくなった分、ありがたみがわからなくなり、要求することがあまりにも大きい老人世代ができた→後期高齢者医療制度「わたしたちを殺す気か?」←情けない。

④日教組「人権」「平等」「権利」何かにつけて主張→この教育のつけが今、回ってきた。「損をすることに黙っていない」教育→言われなくてもそもそも人間はがめつい(兄弟で丸いケーキを切り分けた時、どれが一番大きいかを一瞬のうちに見分ける)。 人間は見ず知らずの人にも恵むことができる。そこが動物と違うところ。

⑤他人に依存しないで自分の才覚で生きる。

⑥自分の能力が衰えてきたら生活を縮めることを考える。身の程を知る。

⑦人に何かをやってもらうときには対価を払う。人の好意に甘えているとエスカレートする。経済が許す限り自分で払う。

⑧性悪説に立てば人とつきあっても感動することばかり。

⑨若者の人口が減り、収入のない老人が増えれば税収が少なくなりどうにもならなくなる。ない袖は振れない。

⑩一昔前までは人は死ぬまで働くのが当たり前。そうならなかったのはこの現代の一時期だけ。でもこれも終わり。

⑪何をしてもらうかではなく何ができるかを考える。

⑫受けるより与える側に立つと幸せになる。

⑬折衷を許し合える夫婦になる。それぞれ長い歴史をもっているのだからそれを変えさせるのは無理。

⑭子供の世話になることを期待しない。

⑮悪徳商法に引っかかったり儲け話にだまされるのは多くの場合強欲な年寄り

⑯分相応、身の丈にあった生活をする

⑰若い時は見栄を張ることもあるが、長い間生きてくるといくら隠しても所詮その人がどんな生活をしているか大体のところはバレるものだから、見栄を張っても仕方がないと気づく。晩年が近づくと何もかも望みどおりにできる人などひとりもいない。

⑱優先順位を決めて、一番必要なことだけをする。後に残っても気にしない。

⑲老年はひとつひとつ出来ないことを諦め、捨てていく時代。執着や俗念と戦って人間の運命を静かに受容する。

⑳貯蓄があっても憂いあり。長生きしすぎて一文無しになったらあらゆる知人や周囲の人にたかる。冷たくあしらわれたら野垂れ死にを覚悟する。

・老得齢になって身につける老人性には二つの柱。ひとつは利己的になること。もう一つは忍耐がなくなること。

・「保険料を払っているのだから元をとらないと」→元をとるという発想は商人の行為。元を取ろうとしないのが人間の 上等な生き方。

・あの世があるかどうかわからないが、分からないものはあるほうに賭ける。

・私たちは始終誤解される。誤解されるいい加減なこともやっているが、人の評価と自分の思いは絶えず違う。でも、神があれば、誤解されっぱなしでいい。神だけが私が何をしたかほんとうのことを知っている。一番怖いのは世間ではなく、自分の内心とほんとうのことを知っていらっしゃる「その方」だけ ・・・・・

 

耳の痛い話だがしかし・・と、すなわち痛快に思う向きもあれば、なんと思いあがったことを抜け抜けと言っているのだ現実も知らないでと憤慨する向きもござろう。 しかし、ここはひとつ冷静に考える材料として受け取るならば、誠に料理のし甲斐のある材料ではなかろうか?  今の日本の危機を乗り越えていくためのキーワードとしての、自律性と自立性、能動性と主体性、これらのことをつぶさに表現されているのかも知れない。 

 

関連したものとしてご紹介させていただくとすればテンポスバスターズの創業社長、森下篤史氏が語っていた話に・・

 

「私の田舎は山陰地方の山奥で94歳の父もまだそこで暮らしている。 山に行き、薪を背負って毎日暮らしている。月に一度帰郷するのだが、そこに見る世界は毎回目を疑う。 父より年下の86歳の老人も同じように薪を背負うのだが、暗黙の了解に近い世界で94歳の父よりも必ず多めに薪を背負う。 年下は年上より多く持って当たり前、若いのだから当たり前といわんばかりの伝統らしい・・

そんな世界が日常だから64歳の私が帰るともう大変。村一番のひよっこになる。私が一番背負わされる。

ところが東京に帰るとどうだ、定年を迎えたひよっこの60歳が 足が痛い、腰が痛いと毎日病院に通い、歩かず電車に乗り、不平不満のあらさがしの日々。毎日何をすればいいのかさえ決められず、生きているのか死んでいるのかわからないありさまに愕然とする」  

 

まあちといつものように私の主観も入った内容ですが、あらかたこんな内容でした。 

さて、皆さんはどうお考えになります?

 

さ~あみんなで考えよう~

 

 

 

 

 

 

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