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残すもの
2011年5月5日 | 雑記

おぉっ ~ 。  なんか久しぶりにこの画面に帰って来たなー って感じです。  それもそのはず、パソコンはおろかテレビ・新聞もほぼ1週間見ずの生活状態でしたから・・

身内の所有する、誰も住む人のいなくなって7年経つ県外不動産売却の交渉とその家屋内の物品整理と引っ越し手配とその梱包作業に追われながら、法事の準備と親族を迎えてのその行事実行。 親戚宅へのご挨拶という具合に朝6時からの作業に明け暮れた連休でございました。  連休渋滞の中の片道600キロの車での往復を兼ねた今回、さすがに中年おいさんには後遺症が残るようで昨夜松山着ですが本日はクタクタです。 

以前より思うなかに、故人が生前使用していたものの処理処分について、思い出や故人の遺志などを、残されたものがそれなりに考えたり、思いこみながら進めていくわけですが、故人にとってはもはやその道具は必要なく恐らく何の未練もためらいもないと思うのに関わらず(何せあの世には何も持っては行けませんので)、なぜか残された人はその人なりに思うことを形に見ようとするものだなあ ということがあります。

したがってついついあれもこれも残しておこう、残しておきたいということになるのでしょう。 いえ、けつして否定したりしているのではありませんよ。 でも、私は自分が死んだときのことを想像するのです。 はたして私が生きてきた今日までは様々な物品たちは私にとって少なからず必要かつ、喜びさえも与えてくれた存在であったわけですが、遺された者にとってそれはどのように映るのでしょう?

ありがたやありがたやと映るもの、迷惑なこっちゃと映るもの、どう処理していいのかわからないもの、軽蔑されるもの ・・・・・    あぁ~  、 おいちゃんいろいろ考えちゃうのよねー。

私が買って来たものは、生きているうちに私が処分する。 なんとなくそんな気持ちが大事なような、 そんな気分が実は数年前から続いているのです。 5年くらい前に物が溢れすぎるという気持ちにいたたまれず家族を無視して物品の大処分を決行したのが始まりで、それからも物には敏感であろうという気持ちを意識しながら過ごしてまいりましたが、あの時まだ残されていたものが実は多々あるわけでして、このたびの行事を通してもう一度思い出したその気持ちを本日一日形に表すことができました。 

また捨てました。 というか、必要としているところへお渡しするといいますか、まあ誰が何を必要としているかはわかりませんので私が回りの人々を想像し、これはあの人のところでは?  という物品を仕分けていくのです。  その人がいらなければまた考える。 最後に捨てればいい。

私の回りにはNPOやボランティア、福祉団体という具合に様々なものを必要としている方々もいらっしゃるのでいくらでも想像ができます。 捨てるものがまだ誰かの役に立つかも知れないということは嬉しいものです。  生きている間にどんどん配ろうと思います。

極論ですが、かの秋山好古が若かりし頃のたもうた「男子たるもの身辺は簡素たるべき、茶碗一つあればよい」 という言葉ではないですが、今の私には強烈な波動となって押し寄せてくるのです。

ということで、本日も疲労困憊の中ではありますが気になっていた部分の処理完了いたしました。

明日各方面に打診し、引き取り先を決定したいと思います。

 

まあ 正直にいえばお休中もひっきりなしにかかっていた会社からの転送電話の案件処理が明日から始まるので、  またこれが来週いっぱい続くので それどころではないのですが ・・    がんばります。。

 

では 捨てずに残すものとは何か ・・           

いくら私が悪いように考えるタイプで、準備を早めにするタイプでも、 まだ今は生きていることも事実なので、残すものは 「心ときめくもの」 「必需品」  の二点に絞り込みます。   心ときめくものが多すぎる人には意味ないですね。。

 

 

 

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