このタイトルは私が愛読させていただいている「理念と経営」という雑誌の中のシリーズの一つである。
この作者は 小檜山 博 氏である。
北海道で苦労の末作家になられた方であるが、氏の体験を基にしたこの特集は現在でも色あせることなく私に勇気と感謝を想起させてくれる。
今の時代にもいろいろあろうが、失ってはならないものとして氏の体験の数々を記しておきたい。
今後も時々紹介させていただこう。
ある六日間 小檜山 博
『高校の卒業式の日、ぼくだけ卒業証書をもらえなかった。貧農だった父母からの仕送りが遅れ、授業料から寄宿舎の食費まで三ヶ月分が滞納になっていたからだ。父は農協や村人からおカネを借り尽くし、もう借りるところがないのに違いなかった。
卒業式がすんで寄宿舎は一、二年生だけになり、三年生で残ったのはぼく一人だけだった。ぼくの部屋は三年生がぼく、二年生二人、一年生一人の四人部屋だった。
卒業した次の朝から、当然のこと食堂にぼくの食事は出なくなった。ぼくは十円も持っていなかった。それで空腹を忘れるため部屋で蒲団にもぐり、小説を読んだ。とにかく父からおカネが送られてくるまで、五日でも一週間でも水を飲んで頑張ろうと思った。
ところが間もなく三人の下級生が、茶碗に一杯の飯とお椀に味噌汁をぼくのところへ持ってきてくれたのだ。
三人の飯茶碗から少しずつ分け、味噌汁は賄いのおばさんから鍋の底に残ったどろどろの汁をもらってきてくれたものだ。もともと彼らの飯も味噌汁も一杯きりで、お代わりはないのだ。
ぼくは食べながら涙を流した。
それから六日間、部屋の三人は朝昼晩と、ぼくに自分の飯を分けてくれつづけた。七日目に父からおカネが届いた。ぼくは卒業証書をもらい、荷物をまとめて寄宿舎を出た。
それから二十六年たったある日、かつての寄宿舎の下級生三人を温泉へ招待した。みな役所の局長や会社の部長になっていた。
ぼくは三人に「俺がいままで食った飯の中で、あのときほどうまい飯を食ったことがない」と言った。すると三人は口々に「そんなことあったべか。忘れちゃったなあ。先輩もつまんないことおぼえているねえ」と笑った。
しかしあの十六、七歳頃の、丼飯を三杯食べても腹いっぱいにならない頃だ、彼らがあの六日間を忘れるはずはない。忘れたふりをして、ぼくに気持の負担をかけまいとしているだけなのだ。
もし仮に本当に彼らが忘れたとしても、ぼくは忘れるわけにはいかない。なぜなら三年間で習った勉強よりも、あの六日間で教わった、人間の優しさとは何かということに、その後のぼくの人生がつくられたからと思うからだ。』