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思い出とモノと
2009年9月24日 | 雑記

なんかそーとー久しぶりに会社に来た。

この連休かみさんの実家(愛知県吉良町)で誰もいなくなった家屋の荷造りに没頭していたからだ。

親父さんがなくなって約4年、少しずつ次の準備にかかれるときが来たようである。

生きている人間にとっては、本当に様々なモノを使いながら、また所有して生きていたことがこの引越し作業をしていると本当によく分かる。

あの世に持っていく必要の無いモノばかりなのだが、生きているといろんなモノが必要なんだなあ、もしくは必要だと思い込みながら生きているんだなあと思ってしまう。

私自身、数年前の家の大掃除で大量廃棄処分したときにも感じたことであるが、出来るだけモノを持たずに生きることにあこがれる反面、またモノ探しをしている自分に出会ってしまう。

あちらの家でも、ああこれは親父さんの大事にしていたモノだろうなとか、家族それぞれのアルバムであるとか、兄貴の使っていたモノであるとか、そんなことを考えながら片付けをしているとうちに持って帰れないくらいの大量の品々になっていて唖然とする。

一体全体思い出の品々は本当に必要なのであろうか?

その人が生きているときにこそ、必要だったモノであり、楽しんだモノであり、それを遺された人が継いでいかねばならぬと解釈することは果たして正常なことなのであろうか?

ついいらぬおせっかいよろしく、かみさん本人より残すモノを仕分けしている私は 誰 ?

 

今回また考える機会を与えていただいたということは、そろそろこの問題にも決断を下す時が来たんでしょう。

私の所有するモノモノも含めて、それを処理できるのは生きている自分しかいないということを考え、一つ一つのモノの別なる生かし方をこの機会にまとめてみようと思う。

 

もっとも、もう一つの本音で言えばそれだけのモノを我が家には置くスペースが無いことも事実なのではあるが ・・・

 

 

 

 

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