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くちびるに歌を持て 心に太陽を持て ④

前回ブログがあまりにしょうもないので、ここは他力本願で9月を締めくくらせていただこう。

小檜山さんの文章は特別なことばを並べ奉るわけでもなく、奇をてらうわけでもなく、ただ淡々とシンプルに事実と所感を綴っただけなのだが、人間と言う存在の中に、またそれぞれの体験の中に必ずと言っていいほど共有できるこころを感じてしまう。

懐かしいような、触れたくないような、青臭いような、暖かいような、そんな帰っていけるような言葉に出会う。

しかし、 しかし、皆がこう感じることが出来る体験を持っているんだろうか? 

本当に今の大人も含めてこんな気持の分かる体験をしてきた人は国民の何割なんだろう?

ふと、そんなことが頭をよぎった。  が、 憂いても仕方が無い。

残したい大切な気持と心として今回もご紹介したい。

 

 

紙袋の中    小檜山 博   (理念と経営 特集記事より)

『勤めながら同人誌を出し、誰も読むはずもない下手な小説を書いていた三十歳ころのぼくの夢は、五十五歳で定年になったとき、退職金で三冊の著書を自費出版することだった。

ところが三十七歳で書いた「出刃」という小説が芥川賞の候補になって様子が変わった。

河出書房新社の編集局長で水上勉、三島由紀夫、高橋和巳らを育てた坂本一亀さんが創設した構想社で、ぼくの作品を単行本にしてくれたのだ。印税までいただけ、ぼくはもう一生、本はこの一冊だけでいいと思った。

「出刃」は三千冊刊行され、ぼくは五百冊買いとった。本が売れない新人はすぐ消えると聞いていたから、とにかく出版元と書店の本を減らそうと思ったのだ。二百冊を無料で、友人、知人に配り、あとの三百冊はどうする当てもなく書斎に積んでおいた。

ぼくは折を見ては書店を回り、こっそり自分の本を買い歩き、妻もまた書店を回っては買ってきた。七冊ある店からは三冊、三冊ある店からは二冊を買い、一冊しかない店は買わないという。何もなくなって追加注文してくれなかったら困るから、と妻は笑った。

幸運にも「出刃」は増刷をつづけ、ぼくはそのたびに三百冊ずつ買い、書斎は「出刃」で溢れた。妻は書店から「出刃」を買い回るおカネをつくるために、着物を質屋へ運んだ。

ある夜、ぼくが自宅の公団住宅へ帰ると、妻が紙袋を下げて部屋へ走りこんできて「二冊売れた」と笑った。聞くと妻は毎日毎日、三棟ある公団住宅へ「出刃」を売り歩いているというのだ。四階まである見知らぬ家の扉を叩いて回り、そこの主婦に「夫の小説ですけど、一冊いかがでしょう」とすすめるという。新興宗教の本と思われて扉をあけず追い返されたり、押し売りと思われて怒鳴られたりもしたらしかった。

妻は本の入った紙袋を置くとぼくのコートを脱がせながら「さっきの奥さん、手にとって見てくれたんだけど、代金を言うと『え、おカネとるの?』 って本を廊下へ投げられちゃった」と苦笑した。それから妻はぼくに背を向けてコートを洋服掛けに掛けながら、左手で素早く眼をぬぐった。

 

「出刃」は版を重ね、三十三年たったいまも書店に並ぶ。』

 

 

 

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