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くちびるに歌を持て 心に太陽を持て ⑥

私の友人の一人がこのシリーズが好きらしい。

このブログに来ること自体レアなのだが、くちびるシリーズとはまた超レアな ・・

しかし、かく言う私は大ファンなのだから人のことは言うまい。

今回は二回に分けてのご紹介である。(ちょっと長いから)

しかし、その原点は普遍であり、永遠である。 小檜山さんのにおいである。

 

 

ある商店(上)     小檜山 博        「理念と経営」 特集記事より

『ぼくは五十年間、コクヨ ケ-60以外の原稿用紙を使ったことがない。 罫線の薄い茶色が神経に合っているのだろう。 まだ東京にいて同人雑誌に誰も読んでくれない下手な小説を書いていた二十五歳ごろは、この原稿用紙を伊勢丹で買っていた。 三十二歳で札幌へ戻ってからもすぐ、この用紙を売っている店を探した。

やっと見つけた難波商店という文房具屋で初めて十冊買った日、四十歳半ばに見える店の女性に「こんなに買ってどうするの」と聞かれた。  ぼくは小声で「小説を書く真似ごとをしているもので」と顔を伏せた。 すると彼女は「それは凄い、頑張んなさい」と言って代金を二割も引いてくれた。 彼女はそこの専務さんだった。 原稿用紙の代金を負けてくれる話など聞いたこともなく、ぼくは驚いた。

それからは三ヶ月に一度ほど十冊くらいずつ買いに行くたびに、専務がいなくてもほかの従業員が値段を負けてくれた。 ぼくがいくら正規の代金を払おうとしても受け取らなかった。 専務に言われているに違いなかった。

 

通いだして十年がたち、新興の文具商に押された難波商店は郊外のボロなビルに移転し、十五人いた従業員も五人に減っていた。 そこへもぼくは通った。

そのころぼくの『出刃』という小説が芥川賞の候補になって出版され、難波商店の社長になった彼女は「よかったね、頑張った甲斐があったね」と喜んでくれた。 ぼくは「あなたのおかげです」と礼を言った。

難波商店へ通いだして二十五年がたち、ぼくの著書も二十冊を超えて原稿用紙を買うおカネに不自由するということはなかったが、彼女は相変わらず代金を安くしてくれつづけた。

いくら、もういいからと言っても「あなたはいいものを書けばいいの」と笑うだけだった。 しかし店員は三人に減り、店はいまにも潰れそうに見えた。 彼女は七十歳近かった。

難波商店へ通いだして三十二年たったある日、原稿用紙を三十冊買おうと電話をかけると「この電話は使われてません」という録音が返ってきて、ぼくは飛び上がった。』

 

 

 

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